母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年12月23日

なかなか寝付かれず弱った。トイレに起きたのが5時半だった。6時半体温36.8度あった。7時朝食。8時半夫来る。先生や看護婦さんにあげる物買って来いという。私は病人で病院から出れないしお金一銭もないこと知っていてあんなこというなんてあんまりだと思う。

8時40分外来で呼ばれて2階に行く。喉の奥診て終わり。お父さん来ているかと聞くので来ていると言ったら後で会って良く話しとくからという。9時20分夫を探してもいないのでもしや買いに行ったかもわからないと思って待合室探すがいない。3階に上がろうとしたら夫に会う。高須賀先生に会って話を聞いたという。お金も受け取ったいう。やれやれ安心した。看護婦さんには1200円のお菓子2箱買ってくる。

美智子9時半来る。注射して朝食済んで地下のパーマ屋で前髪切ってもらう。私は美智子に頼んで皮膚科に9時に出しといたので行くとすぐ診てくれた。しばらく様子見てから今度6日に来たら皮膚科に来てその時手術の時期知らせるという。終わって会計へ持って行く。

今度は放射線科へ診察に行く。手術してから胸のレントゲン取ってないと言ったら前と横を取る。今度1月末の火曜日に来てくれという。終わって3階に上がる。しばらくして看護婦さん来て絶対に風邪引かれないよ、また風邪引いている人の側に行かない、胸のところまでは浸かったらいけないしこすってもいけないと厳しく言われた。髪のこと聞くと先生に聞かないとわからないという。それっきりになったが。

11時昼食。金高さんから鳥の足もらう。十亀さんのご主人見えた。雑談する。1時過ぎ明細書持って来る。会計課へ行き支払い済ませる。十亀さんに会い玄関の外まで見送る。ご主人はお調子ばかり言ってた。

時夫が先に荷物を車の所に持って行ったので助かる。夫は用事したら会社へ行くといって行ってしまう。お菓子看護婦さんにあげてお礼言って帰る。ようやくこれで退院することできる。1月5日9時から絶飲食。6日朝も絶飲食して8時半までに病院へ行かなくてはいけない。耳鼻科をのぞいて透視室に行ってくれとの指示受ける。

買い物して帰り夕ごはん支度する。いつも4時に食べていたのでおなか空く。夕食した後、テレビ見る。時夫君が珍しく布団敷いてくれる。ありがたいことだと思う。夫は何もしてくれない。おまけにズボンの裾縫ってくれという。

11時半までテレビ見て寝ることにする。二ヶ月ぶりに夜遅くテレビ見る。毎日暑い所で湯ばかり浸かって過ごしてたせいかものすごく寒く感じる。風邪引きそう。