母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

最後に

弟(三男) 1963年ー1963年

母 1936年ー1991年

父 1930年ー1992年

弟(次男) 1961年ー2019年

妹 1964年ー2022年

私(長男) 1959年ー

 

無料ブログなのでいつ廃止されるかわかりません。このブログもはてなダイアリーに書いていたものですが、廃止されたので移行しました。時系列になっていないので読みにくいと思います。複製を時系列にして、他のブログに作っています。

 

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1980年12月23日

なかなか寝付かれず弱った。トイレに起きたのが5時半だった。6時半体温36.8度あった。7時朝食。8時半夫来る。先生や看護婦さんにあげる物買って来いという。私は病人で病院から出れないしお金一銭もないこと知っていてあんなこというなんてあんまりだと思う。

8時40分外来で呼ばれて2階に行く。喉の奥診て終わり。お父さん来ているかと聞くので来ていると言ったら後で会って良く話しとくからという。9時20分夫を探してもいないのでもしや買いに行ったかもわからないと思って待合室探すがいない。3階に上がろうとしたら夫に会う。高須賀先生に会って話を聞いたという。お金も受け取ったいう。やれやれ安心した。看護婦さんには1200円のお菓子2箱買ってくる。

美智子9時半来る。注射して朝食済んで地下のパーマ屋で前髪切ってもらう。私は美智子に頼んで皮膚科に9時に出しといたので行くとすぐ診てくれた。しばらく様子見てから今度6日に来たら皮膚科に来てその時手術の時期知らせるという。終わって会計へ持って行く。

今度は放射線科へ診察に行く。手術してから胸のレントゲン取ってないと言ったら前と横を取る。今度1月末の火曜日に来てくれという。終わって3階に上がる。しばらくして看護婦さん来て絶対に風邪引かれないよ、また風邪引いている人の側に行かない、胸のところまでは浸かったらいけないしこすってもいけないと厳しく言われた。髪のこと聞くと先生に聞かないとわからないという。それっきりになったが。

11時昼食。金高さんから鳥の足もらう。十亀さんのご主人見えた。雑談する。1時過ぎ明細書持って来る。会計課へ行き支払い済ませる。十亀さんに会い玄関の外まで見送る。ご主人はお調子ばかり言ってた。

時夫が先に荷物を車の所に持って行ったので助かる。夫は用事したら会社へ行くといって行ってしまう。お菓子看護婦さんにあげてお礼言って帰る。ようやくこれで退院することできる。1月5日9時から絶飲食。6日朝も絶飲食して8時半までに病院へ行かなくてはいけない。耳鼻科をのぞいて透視室に行ってくれとの指示受ける。

買い物して帰り夕ごはん支度する。いつも4時に食べていたのでおなか空く。夕食した後、テレビ見る。時夫君が珍しく布団敷いてくれる。ありがたいことだと思う。夫は何もしてくれない。おまけにズボンの裾縫ってくれという。

11時半までテレビ見て寝ることにする。二ヶ月ぶりに夜遅くテレビ見る。毎日暑い所で湯ばかり浸かって過ごしてたせいかものすごく寒く感じる。風邪引きそう。

1980年12月22日

なかなか寝付き悪く10時に看護婦さんの巡回に来る時知ってた。そのうちに眠ってしまったのだろう。トイレに行きたいので目が覚めた。時計見ると5時半だった。それから眠れず起きて着替えて寝る。何時頃だろうか。看護婦さん来て血液検査のため血取って行く。しばらくしたら6時のチャイムの音でカーテン開けて看護婦さん体温計持って来る。36.8度ある。歯が少し痛む。耳鳴りがする。看護婦さん来る頃収まっているので言ってない。

7時朝食。丹下さんよりパン二ツもらう。村田さんより食パン一枚、りんご一個、バターもらう。時夫にあげたらいいと思う。9時半美智子来る。注射して朝食させる。9時40分処置室に行く。皮膚科で足をしてもらうようなってたが主任さんが足は退院してからもできるから皮膚科と話しても良いかと聞くので退院してからしてもらうといっておいた。

今度は処置にて松本先生がどうなのかと聞くので黙ってたら、変わらないかという。婦長さんが高須賀先生何か言ったか、退院していいと言ったかと聞く。治療終わったら退院しなさいといったこと言うと横の看護婦さんが23日がいいから23日に帰りたいと言ったという。私はそんなこと言わなかったけど婦長さんは紙に書いてた。

明日秋山先生で診てもらって帰りなさいという。本当に23日に退院して良いのかしら。保険証と診察券持って来てくれという。後で持って行かなくちゃ。10時25分電気治療受けに行くついでに美智子送って行く。明日退院できること伝える。1ヶ月間は胸の所洗わないこと、跡がかゆくなるけどかかないでかゆみ止め薬付けることの注意受ける。お礼言って部屋に戻る。

エレベーター前で看護婦さんに会う。治療終わったこと伝えるとご苦労さん、明日退院おめでとうというのでお陰様でと返事しておいた。あまり嬉しくないのはどうしてだろう。やはりはっきり日にち言わなかったのでかもわからない。明日高須賀先生だから何か言うだろう。その時初めて実感わくだろう。

11時25分昼食。政岡さん食事車引っ張ってきて早く食べてよという。1時に喫茶店に行く約束してたが横のベッドの人来て村田さんと仲良く話しているので少し遅らせよう。1時35分少し遅くなったが1階の喫茶店に村田さんと入りカレーうどん食べる。

2時半37.1度ある。微熱あるけどそんなしんどくないが歯が痛むので寝ていたら眠ってしまう。3時半村田さんとお話をしていたら丹下さんのご主人からバスタオル二枚もらう。4時夕食。うどん食べてあまりおなか空かないので半分食べて出す。

6時十亀さんよりお菓子もらう。もうすぐ夫来るがと思っても来ない。今日は忘年会で来ないのだと思い出す。7時半36.8度。便1回、尿6回。毎日少々だが回数多い。8時テレビ見る。テレビ終わって電話掛けに行く。看護婦さんに差し出すものや先生にあげるもの買ってると思ったのにひとつも買ってないという。私に何故ちゃんと買っておかなかったのかと怒る。私は入院の身で何故買いに行けるというのか。やはり夫は私を患者と思ってなかった。もう元気で普通の人と同じに考えてるんだ。退院してもどうせ大事にしてもらえないし、お金のことばかり心配したり嫌なことばかり起こりそう。退院してもひとつも嬉しくない。ただ家で気を付かわず注射してしてあげれるのと美智子が毎朝来なくても済む。ただそれだけ。私は何のため手術したのかしら。わからない。

1980年12月21日

6時半体温36.8度ある。トイレに4時に起きてしばらく背中が痛いし胸が痛かったし耳鳴りがしてたが看護婦さんが来た頃収まってた。例えあったとしても言わない。もうすぐ帰れるかもしれないから。私の予測だけど時夫や美智子のために早く帰ってやらなければいけないから。

7時朝食。朝食までのうちに選択して乾燥機室に干す。花の水を取り替えする。昨日夫にパックに詰めておいたごはんとおかずにかまぼこ持たせたが冷蔵庫に入れておいたかしら。心配しても始まらない。入院しても毎日心配、悩みは尽きない。家にいるより自由にできない悲しさ。気が余計イライラしてくる。ちゃんと夫がしてくれたらこんな心配せずにすむものを本当に男なのに情けない。

9時美智子来る。注射して朝食させる。10時美智子買い物に行くというので外まで送って行く。10時半処置室行く。治療は明日で終わりだという。飲みにくくないかとか息苦しくないかとか聞くのでないと答える。検査終わったら退院しなさい、良くなってる訳ではないがご主人に良く言っとくからという。
22日でコバルト治療終わるので23日で退院になる。嬉しいような複雑な気分。帰れるのはとっても嬉しい。でも完全に治ってないのが悲しい。やはり家で養生して治すより他ないのだろう。

11時昼食。今日は確か体重測定だと思う。つまみ食いせずにおろう。また体重増えているかも。退院のこと時夫に電話で伝えたが喜んでくれた。やっとほっとしたんだろう。12時半美智子と主人帰って来た。美智子はスカート買ったらしい。化粧水勧められて買ったという。夫はシャツにパジャマ買ったといって見せる。せめて時夫の物ひとつぐらい買ってくれたら良いのに。子供のことどんなに思ってるんかしら。私にはひとつも子供のこと思ってくれてないと映るがどんなだろう。

しんどいので寝て本を読んでたら十亀さん来てのぞいた。寝ているのですぐ戻って行く。古川さんの後に丹下さん入院する。胃の検査と肝臓の検査するという。やがては手術するらしい。主人にも美智子にも明後日退院すること伝える。美智子は喜んだが主人はさほど喜んではなかった。退院する時看護婦さんと先生にあげるもの買ってくると言ってたがちゃんとしてくれるかしら。

1時40分体重測定。57.4kgだった。2時半体温36.8度ある。寝て本を読んでたら十亀さん来る。十亀さんも23日退院だという。お互いに喜び合う。そのうち夫来る。美智子買い物に出たという。もしやけんかか夫に怒られて家を出たのではないかと心配になり電話したら花が売ってたので見に行ったという。本当に良かった。

外まで送って戻りしな十亀さん夫婦に会う。お金ないので入院仲間に500円借って来たという。私にも千円か500円貸してくれという。ないと言ったら奥さんはかまんかまんと言ってた。7時迄立ち話して戻る。7時半検温37度ある。何だか喉がじがじがして咳が出る。少し風邪気味みたい。少し本読んでテレビ見る。

1980年12月20日

部屋にいると温いけど外はとっても寒く雪が降るんじゃないかと心配になる。6時半体温36.5度。7時朝食。しばらく寝る。自分のいびきで目が覚める。鼻の調子悪し。喉は痛みないけど飲み込む時詰まるので困る。でも痛みよりましだと思う。

9時15分夫と一緒に来るものと思い診察券持って行くと美智子一人来ている。今日は昼までなのにと心配になる。10時処置室に行く。三番目に診てくれた。高須賀先生だった。記録書きしているのを見て一つも変わってないという。首は柔らかくなっているとも言ってた。少し不安になる。

10時半車の所へ行くと時夫君いないので食堂に行くがいない。エレベーターを待っていると夫が来ているので聞くと外にいたという。美智子連れて車の所へ行くと乗って待っていた。久保さんから呼び止められ車の所で待ってたこと知らされたという。付け替え終わると久保さんと食堂で食べる約束する。久保さんは耳鼻科へ行く。きっと遅くなると思う。

夫は診察終わって支払い済んだのだろう。お金ないので千円くれというと千円くれた。後でお金あげたかと聞くのでもらったというとお金数えてた。年のせいだろうか。11時昼食。パックに詰め少し食べる。11時半食堂に久保さんと行く。二人共定食にする。混んでいた。しばらく話をして帰って行く。玄関で見送りして戻る。

十亀さん夫婦に会う。何か買ってくれといって手を差し出す。私はますます嫌になってくる。十亀さんの部屋に行って話をしてたら息子さん見えて私は自室に戻る。2時半検温37度。微熱あり。体はどうもないけどおなかが調子悪い。

隣の篠原さん今日退院する。10日くらいで退院する人はあまりいないので良くなるのが早かったと思う。うらやましい。こちらはどうなるやらわからない。十亀さん来て話す。4時夕食。夫見える。面会室へ行く。5時半帰る。

1980年12月19日

6時半検温37度。鼻の傷が少し痛む。頭も下腹も少し痛む。でも看護婦さんには言わなかった。言っても診てもくれないし薬もくれない。放っとくより仕方ないから。7時朝食。鼻が痛むのでメンタム付ける。りんごすって食べる。7時50分少し寝ることにする。8時10分ドラマ見る。

9時美智子来る。注射して食事させる。婦長さん巡回に来る。美智子いてたので何もしないでいるのがもったいないという。遊んでることがもったいないというのだろう。人にはわからない。色々言っても始まらないだろう。こっちにはちゃんと方針があるのだから。体も元気にならないと働くにしてもどうにもならないのだから。

9時40分売店に行き戻って処置室に行き松本先生に診察してもらう。左のがまひしているらしい。右が動いているので声が出ているんだという。今日は治療が遅い。もう10時15分になってるのに呼んでくれない。10時45分治療受けに行く。美智子途中迄送って行く。

11時10分戻ったら食事来ていた。12時半美智子買い物から戻って来る。1時時夫君へ電話する。久君へ手紙出すこと知らせる。外まで美智子送って行く。売店で切手買って貼り出す。少し歯が痛く鼻も痛いので寝る。

寝ていたら十亀さんのご主人見える。来るとまたお金借りに来たのかと胸がどきっとする。2時308号室へ奥さんと戻って行く。2時半37.1度ある。3時過ぎ風呂に入り髪洗う。上がって洗濯する。4時夕食。食事しようと思ってたら十亀さんが洗濯機のホースが抜けて水があふれているという。びっくりして行ってみると水浸し。二人で拭く。

夕食後急におなか痛む。5時10分少し収まったが鼻はまだ少しずきずきする。7時半検温36.9度。ばあちゃん来る。面会室で話す。8時テレビ見る。村田さんよりみかんもらう。美智子と話しをしたい、明日こそはお話してみるからという。友達になれたら本当にいいと思う。同じ年代の人とお話できるって嬉しいこと。早速明日言ってみよう。