母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年12月21日

6時半体温36.8度ある。トイレに4時に起きてしばらく背中が痛いし胸が痛かったし耳鳴りがしてたが看護婦さんが来た頃収まってた。例えあったとしても言わない。もうすぐ帰れるかもしれないから。私の予測だけど時夫や美智子のために早く帰ってやらなければいけないから。

7時朝食。朝食までのうちに選択して乾燥機室に干す。花の水を取り替えする。昨日夫にパックに詰めておいたごはんとおかずにかまぼこ持たせたが冷蔵庫に入れておいたかしら。心配しても始まらない。入院しても毎日心配、悩みは尽きない。家にいるより自由にできない悲しさ。気が余計イライラしてくる。ちゃんと夫がしてくれたらこんな心配せずにすむものを本当に男なのに情けない。

9時美智子来る。注射して朝食させる。10時美智子買い物に行くというので外まで送って行く。10時半処置室行く。治療は明日で終わりだという。飲みにくくないかとか息苦しくないかとか聞くのでないと答える。検査終わったら退院しなさい、良くなってる訳ではないがご主人に良く言っとくからという。
22日でコバルト治療終わるので23日で退院になる。嬉しいような複雑な気分。帰れるのはとっても嬉しい。でも完全に治ってないのが悲しい。やはり家で養生して治すより他ないのだろう。

11時昼食。今日は確か体重測定だと思う。つまみ食いせずにおろう。また体重増えているかも。退院のこと時夫に電話で伝えたが喜んでくれた。やっとほっとしたんだろう。12時半美智子と主人帰って来た。美智子はスカート買ったらしい。化粧水勧められて買ったという。夫はシャツにパジャマ買ったといって見せる。せめて時夫の物ひとつぐらい買ってくれたら良いのに。子供のことどんなに思ってるんかしら。私にはひとつも子供のこと思ってくれてないと映るがどんなだろう。

しんどいので寝て本を読んでたら十亀さん来てのぞいた。寝ているのですぐ戻って行く。古川さんの後に丹下さん入院する。胃の検査と肝臓の検査するという。やがては手術するらしい。主人にも美智子にも明後日退院すること伝える。美智子は喜んだが主人はさほど喜んではなかった。退院する時看護婦さんと先生にあげるもの買ってくると言ってたがちゃんとしてくれるかしら。

1時40分体重測定。57.4kgだった。2時半体温36.8度ある。寝て本を読んでたら十亀さん来る。十亀さんも23日退院だという。お互いに喜び合う。そのうち夫来る。美智子買い物に出たという。もしやけんかか夫に怒られて家を出たのではないかと心配になり電話したら花が売ってたので見に行ったという。本当に良かった。

外まで送って戻りしな十亀さん夫婦に会う。お金ないので入院仲間に500円借って来たという。私にも千円か500円貸してくれという。ないと言ったら奥さんはかまんかまんと言ってた。7時迄立ち話して戻る。7時半検温37度ある。何だか喉がじがじがして咳が出る。少し風邪気味みたい。少し本読んでテレビ見る。