母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月24日

朝6時眠いのに放送で目が覚める。体温計持って来る。36.5度ある。6時40分パンツ洗い乾燥機室に干す。7時朝食する。今朝からパン食。あまりおいしくないが自分で決めた朝食だからこらえよう。8時20分耳鼻科処置する人は早く来てくださいという。今日はまた早いもの。先生方がもしかしたらお休みではとも思う。私もすぐ処置室前に行き長椅子に座ってると美智子来る。部屋にいて待っていてと言って行かせる。

しばらくして美智子は来るので看護婦さんにインシュリン注射といって私がするつもりでいてたら看護婦さんがしてくれたので助かった。私が戻ったら朝食していた。済んで面会室に行くと時夫がいてたのでしばらくお話をして9時帰って行く。

10時半急に看護婦さんが久保さんが退院が延びたのでその後に来るようなってたらしい。でも私の横が男の子だから私に部屋を変わるよう言われた。308号室から312号室へ変わることになって10分程して変わる。6人部屋で陰気な部屋だ。おもしろくない。308号室では面白くベッドで寝る間はあまりなく大方話をしていたし、1日過ぎるのはあまり億劫ではなくなくなっていたのに。

私の隣のベッドは中学生の女の子だ。話をするにも合わないし私の向かいは今日入院した人だ。明日手術するらしい。耳の下か知らないけど袋ができていると言っていた。人はそれぞれ病気も違う。花に水を入れて戻るとベッドの足の金具に足がかかってつまずいて腕の関節の所を思い切り打ってしまった。痛くてたまらない。看護婦室に行き湿布貼ってもらう。

11時昼食。食事済んでずっと寝る。2時半検温に来る。どういう訳か37.2度もあった。どうしてだろう。おかしい。4時夕食時間。食事している時久保さん来て母が部屋に入って来たらしい。その時退院したと言ったらすぐ出ていったという。それが気になる。もしや怒って主人の所に言ってるのではないかと思い食事済んでから電話したが主人は出ない。しばらくしてたら十亀さんのご主人さんに連れられて来た。びっくりしていた。そしたら母も同じ連れて来てもらう。良く変わるな、もうすぐ退院かと聞く。退院は程遠い。まだ1ヶ月程かかるらしいから気の遠くなる。

主人は履物が2足で980円したといって私にくれる。母は手提げを2つで980円したといって私にくれる。今日は何て980円の額に縁があるものだとおかしくなる。お陰でおはぎを食べられるし十亀さんからはみかんにりんごももらうしこの頃はよく貰う日。

6時45分夫は帰るというので果物持たせてあげる。美智子のコートと私のズボンをクリーニングへ持って行ってくれといって頼む。もしかしたら時夫に持って行けというかもしれない。下まで見送って外に出る。10分程話す。入院して以来初めて立ち話した。姿見えなくなるまで見送ったが何だか淋しくなり涙が出そうだった。

7時になるので体温計持って来るからと思い慌ててエレベーターに乗り自室に入る。検温37.3度。8時40分より308号室に行き消灯時間までお話する。