母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月25日

夕べは2時頃に目が覚めてトイレに行き寝ようと思ってもなかなか寝付かれず弱ってたら誰かがブザーを押したのか看護婦さんが二人も駆けつけた。でも誰も押したようにない。相変わらずコトコトとやはり言っている。看護婦さんはブザー外して行く。それから寝付いたのかしら。今度は採血だといって看護婦さんがそばに来ている。それまで知らなかった。腕では取れないので手の横から血を取る。5時35分だった。もう寝れない。

6時検温時間。37度あった。朝から37度あるのは良くなって初めてだった。済んですぐ洗濯する。ついでに歯を磨き顔を洗う。7時朝食時間。後新聞見たり日記書く。8時40分美智子待ってたら来たので部屋まで連れて行く。ちょうど看護婦さんがいてたので一緒に看護婦さんと行く。処置室で久し振りに注射したので手が震えて困った。

済んで1階に下りて時夫が待っている待合室の所へ行く。あまり時間がないので時夫は美智子を連れて帰る。私は忙しいので3階に上がる。ちょうど処置室に待っているのでそのまま待ってしてもらう。腕の方は何も言わないのでレントゲン取らないのだろうと思い聞きもしなかった。手当て済んで自室に戻る。

10時半放射線科へ行き治療受ける。終わって今日は診察日だから看護婦さんと一緒に放射線科の診察室に行く。しばらく待ってたら番が来て25回受けなくてはいけない、5回終わったところだという。回を重ねるうちにごはん食べれなくなったり痛くなるので休むからという。途中休むとそれだけ延びて退院も延びてくるから懸命がんばらなくてはと自分を励ます。

11時戻ってみると食事が来てたので食べる。久保さんや十亀さん達のいる部屋に行く。2時迄話す。検温時間になり自室に戻る。しばらく本を読み2時半支払いに行く。戻って日記を書いてると十亀さんのご主人が来る。色々話をしてたら今日は風が強いので自転車では帰れないので電車で帰るからお金貸してくれといい1200円あったら足りるという。かわいそうだし貸してあげることにした。人助けにもなるし色々なもの良くもらったりしたので貸さない訳にはいかないだろう。奥さんに内緒だからちょっと苦しい気持ちもある。何のやましいこともないけど。

4時夕食時間。今晩もおいしく食べれた。6時10分時夫君と美智子君来る。しばらく話して面会室に行ってる時主人来る。一緒に行き談話する。7時10分3人とも帰って行く。主人は寒いので明日行かないかもしれないという。嫌なら仕方ないだろう。

8時15分久保さんいる部屋に行くきテレビ見せてもらう。9時40分ようやく寝る。4時過ぎに風呂に入り気持ち良い。頭も洗ったのでさっぱりした気分で休める。