母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月23日

今日は日曜日。良く晴れたいい天気。どこかハイキングでも行きたい心境だけど入院中では箱のなかに閉じ込められた小鳥のようなものだ。6時体温計来る。36.5度ある。洗濯する。7時朝食時間。食事済んで看護婦さんに先にインシュリンもらいに行くとこちらでするから一緒にお母さんも来て下さいという。戻って来て日記書く。

8時40分美智子来る。早速看護婦室に行くと注射してくれたので私はほっとする。戻って来て朝食してから屋上に洗濯物干しに行く。9時40分3階に下りてみるとみんな処置室で待っているので美智子部屋で待たせて私の番になるまで待つ。今日は傷口をピンセットでなぞってたが消毒して済む。

部屋に戻り美智子連れて時夫待つ車の所まで行く。少々立ち話して帰って行く。また来ると言ってた。何だか時夫淋しそうだった。早く退院できたらいいのに。患者さんで放射線治療受けた人だが25回ぐらい受けて1度休んでまた5回ほどするという。10回ぐらいしてから舌はただれて喉が腫れごはん食べれないようになるらしい。考えてると嫌になる。でも富子は負けないぞ。頑張って早く退院してみせる。

11時昼食時間。普通食出ると喜んでいたのにまたもおかゆでがっかりしちゃった。仕方ないので食べたけど夕食からまともなごはんだろうか。それだったら良いけど。手紙書いたけどまたも失敗して書き直しする。2時体温計持って来る。37度あった。

4時夕食時間。4時半母来る。母が来てもうれしくない。来る度時夫の職のことや家のことや嫌なことばかり。私は病人だから少しはいたわりの愛情欲しい。早く帰ってくれたらいいのにと思う。6時前に帰る。外まで見送ってあげてエレベーター前で待ってると主人が横に来てた。子供はと聞くと後から来るという。無責任過ぎる。一人さっさと来るんだから。

しばらくして時夫君と美智子来る。珍しくおでんを主人が炊いたらしい。自分が食べたいからするんではあるが。6時50分に主人は帰る。7時検温する。37度。7時15分子供を送っていく。慌てて自室へ戻る。後テレビ見る。9時より10時まで久保さんと話す。10時看護婦さんが回診に来るので自分のベッドに戻り寝る。久保さんが最後の別れと言って11時半までお話する。