母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月22日

6時半体温計取りに来る。36.5度。7時朝食時間。8時美智子来る。早速注射しに行くがなかなか看護婦さんは面倒くさがってしてくれない。婦長さんが家から来たのだろう、手提げ重たそうに両方に持っていた美智子見て注射だと感じたのだろう。看護婦さんに注射してあげなくちゃと言ったのですぐ来てしてくれた。処置室から来て朝食する。

えらい美智子嫌がると思ったら、この頃看護婦さんが嫌がるのか面倒がるのか知らないけれど、さっさとしてくれないので嫌がると思う。早く退院できたらいいのだけど今のところはできそうにもないからもう少し辛抱してもらわなくちゃいけない。

9時時夫は1階の待合室でテレビ見ていたので行くとしばらくして帰ってしまう。9時40分治療受けに行く。20分程して終わり眼科へ行くとちょうど治療室に入ってた。私は長く待っても同じだと思い看護婦室に行く。預かった物渡す。主任さんから説教された。婦長さんが看護婦さんを怒ったらしい。これから声かけて注射できるからしてあげて、注射器無くなったらあげるからと主任さんから言われる。明日から私がして上げよう。やはり入院患者じゃないから冷たいのかしら。本当に注射せんですむと良いのにと思う。

自室に戻るとベッドは空になってたためもう帰ってしまったのかと聞くと早、代わりに別の患者さんが来るのだという。水口さんは風呂場に荷物置いている。10時半ようやく水口さんの息子さんが迎えに来る。しゃんしゃんと息子さんがして、見ていても気持ちいいもの。玄関まで見送りに出る。嬉しそうに帰って行った。自室に戻りしばらくして11時20分昼食時間。

夫は薬もらいに行って14日分ももらって戻って来る。しばらくして帰って行った。後に高橋さんが来る。腎臓の検査の結果尿道管が腫れているとのこと。えらい心配していた。手術はしないと思う。きっと元気になると思う。おまんじゅうもらう。心配そうな顔して帰って行く。母は私のことが心配らしい。さほど心配してないと思ってたがやはり一人娘で見てもらう子供がないからやはり私だけが頼りだから心配してると思う。

早速おまんじゅうもらったので今日は2個も食べた。十亀さんからイナリズシもらって食べる。おなか満腹。夫がちょうど戻りしな高須賀先生に会って聞いたらしいが25日もコバルト照射しなければいけないらしい。気が遠くなってくる。子供は退院する日を指を数えて待ってるのに来月中旬になってくる。

今朝隣のベッドに入院して来た高校二年の男の子は自転車で通学していてカーブのところで車と正面衝突して意識なかったという。大したこともなくアゴと左手骨折と目をしたらしい。本当にあれだけで済んだものだと驚くばかり。やはり鍛錬している男の子だけあると思う。

4時夕食。済んだらまた退屈な半日。水口さんいないので淋しい気持ち。夫が来た時、明細書見せたら、母に見せろという。母が払うとでも思っているのかしら。私はがっかりする。男らしく心配するな、そのくらいの金はちゃんと払うからと言って欲しかった。

5時半おかずもらったので夫が来たら持たせて上げようと思い売店に買い物に行きアルミ箔買う。久に手紙出そうと思い書く。久がもう退院していると思い心配してるから明日出しとかなくちゃ。6時20分もうばあちゃんは来ないだろう。それに夫も来ないと思う。夫は昼食時に来たので来ないと思う。やはり二人共来なかった。母は高橋さんを慰めるために力づけるためにそばにいて来なかったと思う。夫は昼来たから来ない人だと思う。折角おかずもらったのに。テレビ見て消灯時間になってベッドに戻り寝る。なかなか寝付かれず弱った。