母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月21日

今にも雨が降りそうな雲行き。6時半体温36.5度。7時朝食。タバコも酒もやめて胃も肝臓も丈夫になったと思う。退院しても吸わない、飲まない。絶対実行するのみ。

食事済んで寝る。8時35分美智子来て注射する。早速朝食して1階に下りる。話しして帰って行く。私は見送ってから売店で卵等買って3階に上がる。ちょうど手当てしているので私もついでにと思って手当てしてもらう。今日は藤田先生だった。消毒してくれた。喉の奥を見る。済んで自室に入る。

9時40分診療受けに行く。いつもの同じ台に寝て合図があるまでする。終わって自室へ戻る。水口さんは耳鼻科治療受けに行って戻ったら急に明日退院するという。あまりのことに信じれない気持ち。また新しく入ってくるだろう。嫌だけど仕方ない。名残惜しい気持ちと寂しい気持ちいっぱい。

10時50分看護婦さんから皮膚科に行ってくれといわれ二階の皮膚科へ行く。すぐ診てくれた。心配することないという。退院10日前程に切ってあげるからという。まだ喉の方が大事なんだからという。納得して一階の会計課に差し出すが何も言わず横にのけてしまうので前のは払わないでいいからというのでこれも払わないでいいのだと思い、そのまま三階に上がり婦長さんにカルテ等入ってる袋渡す。

自室に入り11時半未だにごはんしてないという。今日はえらいゆっくりしてるものだ。11時40分頃昼食来る。早速もらいに行き食べる。美智子が人参、大根、厚揚げ炊いて持って来てくれた。少し薄かったがおいしかった。ありがとうね。12時疲れたので寝ることにする。いつの間に眠ってしまったのか寝ていた。2時15分検温に来る。37.1度。少し頭が痛むけど、この間程ではない。少し熱も出なくなった。大分慣れてきたのかしら。足のできものかしら。なら良いが看護婦さんが足のこと聞くので先生が言ったこと言うと1週間程では済まないからとコバルト治療のこという。やはり20回程はするらしいからその覚悟でやらなければいけないと思う。毎日通院ではしんどいしできないと先生も思ってのことと思う。コバルト治療終わったらまた食道のレントゲンかもしれない。

4時夕食時間。時夫に電話かける。雨がひどいので来ないでも良いからと知らせるため。子供たちに会わないのは淋しいけど雨の中出て来るのかわいそうなので自分だけこらえたらと思って電話する。自室に戻りアイスクリームもらって食べる。テレビ見ながら寝る。6時5分来ないだろうと思ったら来てくれた。美智子は食堂に食事しに行く。心配になったので時夫連れて食堂に行きうどん食べる。済んで自室に入りしばらくして夫来る。明日土曜日お休みだが眼科に来るらしい。7時夫に車の中で待ってたらいいといったら先に部屋を出る。

7時半体温計37.1度ある。時夫が待っていると思い面会室のぞいたら良かったが慌てていたのでまっすぐ車の所へ行く。夫は先に帰ってた。忘れて見なかったのがいけなかった。車の中には時夫はいなかった。しばらく待ってたら時夫来る。早速帰って行く。3階に上がり自室に戻る。9時消灯時間。