母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月29日

今日は晴れ間が見えそう。もう起きたかななあ。さぞ眠いだろうにごめんよ。お母さんのためにこんな辛い思いさせて本当に済まないと思う。早く良くなって退院しなくちゃ。退院したらきっと報いるようにしますね。

6時検温時間。36.6度。7時朝食。朝食済んで美智子来るまで寝ることにした。久保さんが美智子が来たといって起こすので見ると秋山さんの子供だった。しばらくして美智子来る。注射して朝食。9時になる。耳鼻科手当て始まる。私を先にしてもらう。9時40分美智子連れて1階に下りると待合室に待っていた。すぐ出て来て美智子乗せて帰って行く。1300円あげただおかず代もないかもしれない。何とかしなくちゃね。

10時30分治療受ける。約20分間。11時昼食。この頃はおなか空いてお昼が待ち遠しい。2時検温時間。37度ある。終わってから美智子に電話する。保険証持って来るように伝える。知らぬ間に夫に代わってた。4時夕食時間。おいしくない。4時半またも電話する。美智子だった。美智子の方もコロッケだから食べていいというけど食事済んでから食べるのは嫌だからチョロにでもやったらいいと言ってやった。

5時洗濯物取り入れする。しばらくテレビ見て自室に戻る。後日記書く。6時15分時夫、美智子来る。後で主人が保険証持って来る。帰りしなに主人が時夫にこたつ板買って来いと言ったらしい。時夫は買いに行かなかったらしい。さっさと子供頼らずしたらいいものを情けなや。9時15分日記書いてると電灯消える。