母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月28日

6時の検温知らせ。カーテン開けて待つ。36.9度ある。熱ないと思ってたのに微熱がある。秋山さんが体温計壊した。うっかりして下に落としたのだろう。壊して証明書を書かされる結果になったが私もいつその番が回ってくるかもしれない。

8時10分美智子来る。インシュリンもらって来て注射してあげるが思うようにできないのでいらいらするばかり。でもしないといけないので仕方なくする。朝食させて待合室に行くとスーパーが10時にならないと開かないので3階に上がってたらいいというので10時になるまで美智子といる。美智子はずっと座ってつまらないだろう。退屈だろう。ごめんね。

10時25分治療受けに行くので美智子連れて下りる。時夫と一緒に出口まで付いて行く。外は雨。車の所まで行きたかったけど、先生を待たせては悪いからと思い治療室へ行く。約20分先生は子供のこと聞く。孫はいないよねというので笑いながら孫はいないのですよと雑談する。本当に気さくな面白い先生と思う。

終わって自室に戻る。10時50分だった。この間男の人と女の人、親子だと思ったが顔中いぼだらけの人会ったがあんな人珍しい。でもかわいそうだ。それが今日売店から出て来るの見た。スポーツウェア着てたが入院してるのだろうか。果たして治るのだろうか。科学が発達しているからきっと治ると思う。本当に不幸な人は幸福に、悪い人は良くなって欲しい。久保さんも今度こそは良くなって退院して欲しいと思う。

11時20分昼食時間。みんな食べてしまう。おいしかった。これから2時の検温時間まで休むことにする。休むつもりが久保さん訪れ眠ることできなかった。話をしてると十亀さんのご主人見えてまた話し弾む。なかなか帰らず私は奥さんが気を回しはしないか、変に勘ぐられはしないかと気持ちは複雑。またも金借りかと思ってたら同じだった。ないと断ったけどなかなか帰らず雨が降っているので電車で帰ろうにもお金がないので帰れないのだろうと思い千円貸すことにした。仕方ないだろう。

3時ようやく帰って行った。私は308号室で空くの待って風呂に入る。上がったら早夕食来てたので取りに行って夕食にする。食事済んで4時45分まで日記書く。ちょうど洗濯機が空いてたので洗濯する。乾燥室で干すことできたがバスタオルができないので部屋で服掛けに掛けて干す。時計見ると6時35分だった。もしや主人来てるんではと思って気になってたが話の途中で戻るわけにはいかずとうとう6時55分まで話す。急いで部屋に戻ったがいない。もしやと思い下まで下りたがいなかった。今日は雨が降るので来なかったと思う。

部屋に戻るとトイレとは知らず307号室かどこかでお母さんに怒られて泣いてると思ったら、子供がとんとんと叩く音がするのでおかしいと思いトイレをのぞいてみると男の子が出られず泣いていた。さぞ怖かったのだろう。すぐ看護婦さんを呼んで来て開けることができて男の子は出ることができた。あまり固すぎるのも困りもの。鍵は少し緩めておいた方が良いと思う。

7時15分検温の時間。戻って本を読む。久保さんに検温終わったら行くからと約束しておきながら本読んでたら時間経つの忘れていざ行ってみようと思い時計見ると8時45分。行って間もなく消灯時間になるので止めて休むことにする。時夫君、美智子ちゃん、おやすみなさい。明日は風が強いそうだけど気を付けて来てくださいね。