母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年4月2日

6時起床、血液取る。体温36.5。6時50分洗顔。7時40分朝食。8時25分支度する。8時30分放射線科行き受ける。8時40分戻るのは早いしもしかしたら目薬もらいに来てるかもと思い待合室や救急センターの玄関先に行き車来てないかと思い行く。でも来てないみたいだから売店に寄り買い物に行き3階に戻る。

アイスクリーム食べてたら処置があるゆえ待合室まで来てくれと放送あり。すぐ行ったが早来て待っていた。皆早いものだとびっくりするばかり。順番来て取り替えする。今日は佐藤先生。何も言わない。退院できないのだろうか。不安になるばかり。どうしたら良いのだろうか。このまま入院してないといけないのだろうか。

終わって部屋に戻りアイスクリーム食べ牛乳飲む。しばらくしたら掃除に来る。蒸しタオル持って来る。体や手足ふき着替える。さっぱりした。やはり気持ちいい。大方11時近く。飲んだり食べたりする。

朝早い時は血が口から出る。たんやつばに混じって出る。前より軽いか現在は出てない。たん取りするのが怖い。どこから血は出るんだろうと言うと電気かけに行く時だけにしてあまり動かないように安静にしてねと言う。

早11時30分、しばらく昼食になるまで寝ようと思いベッドの上。看護婦さんが来てもう点滴無くなっていると言ってびっくりし目が覚める。点滴の胸の所取り替えする。12時昼食、お膳持って来てくれる。ご飯済み3時まで寝る。

今日はもう来ないだろうと思ってるから寝ていたのか夫来たのも知らなかった。びっくりした。時夫君は仕事に行ってるとばかり思ってたから美智子はと聞くと買い物に行っているという。次は時夫君来た。今日は月曜日ゆえ休みという。今日は親子5人そろう。でも久は山梨に行ってるのでいないからつまらない。手紙来ないという。どうしたのかしら。夫はウーロン茶とアイスクリーム買って来てくれた。お金1万円もらう。3000円時夫に返さなくてはいけないからと言うと別に3000円くれた。時夫君に返金すると持っとくと良いというので財布に収める。また時夫がない時に上げることにしようと思う。

6時より花見があると4時過ぎに行く。5時近く美智子来る。大きな手下げ袋持ってブレザー買ったのだろう。6時15分帰って行く。急に淋しくなった。明日は遅勤で晩は来ないと言ってた。昼休みにちょっと寄ってみるからとも言ってた。昼の食事を少し買っておこうと思い、そろそろ消灯時間になるので先にテレビ消す。