母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年10月2日

5時起きてジュース等飲む。牛乳注入する。7時注入する。半分にする。具合悪く吐き気する。また休む。9時30分起きて外出支度。10時30分夫に連れられて病院へ行く。外科受け付けて待合室行く。しばらく待った後、看護婦さんが聞く。先生の名前を聞いておなかが痛く今も痛いという。名前呼ばれしばらく中で待つ。しばらくして名前呼ぶので行く。ようやく先生に会うことができてほっとする。

診察した後、これは入り過ぎだと言った。引っ張りながらしないといけないという。来月火曜日に管取り替えするから来なさい、もし何かあったら必ず来なさいという。おなかの中で風船形にしているので引っ張っても切れないからという。手当て済まし終わってカードもらい支払受付へ入れる。金額言うまで待つ。夫見つけていると内科の方に座っていた。私が支払うつもりが夫が払ってくれて美智子来るまで待つ。

自動車の中で氷2個まで食べ牛乳飲む。約1時間待つ。ようやく来て帰る。美智子は弁当食べる。ウーロン茶買ってあげてたので喜んでた。夫に半分あげる。スーパーに寄り買い物して帰る。売店で買い物してるので今日は大分買った。買い物済まし帰る。4時30分夫は食事して会社へ行く。私は昼食止めて寝る。疲れと具合悪くとうとう5時30分まで休む。

5時30分起きて酢物こさえ久君先に食事する。7時40分晩食す。8時過ぎても帰って来ないし久は帰って来て口をきかない。淋しい夕方。私は口がきけないし声出てくれたら本当にいいのにと思う。情けない。紙に書いて見せないといけない。面倒ばかり。困ったものだ。仕方ないだろう。9時過ぎ帰って来た。食事して風呂に入り明日休みだがおなか痛いといってた。

時夫君休んでから寝ようと思ってたが眠たいので映画終わったらすぐ休む。明日もしかしたら休みじゃないという。休みだったらドライブへ行ったらいいという。いけたらいいのにと思う。どうなるかわからない。私は急に悪くなるのではっきり約束できない。いつもそうじゃないけど。時夫君は休んだようである。