母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年6月15日

6時サイレン鳴ってる頃目が覚める。顔洗って口ゆすぐ。6時45分トイレ行き洗濯する。すすぎ、脱水終わりしんどいので横になる。10時喉取り替え、時夫君してくれる。7時30分カロリーメイト、リポビタン、エリミーユと次から次へと注入したのにおなか調子悪い。肩や背中や首筋や胸や腕等痛い所みんな貼ったら余計悪いような気がする。12時25分昼食してるらしい。私は水一杯飲んでない。喉カラカラである。牛乳飲みたい。雨が降っているのでどこも行けず美智子はぼやき続け、早く嫁にもらい手あったらいいけどこればかりは縁が無いので困ってしまう。男の人多い青年団に行ったらいいと思うし美智子行ってもらわないと困るしどうしたらいいのかしら。

4時30分光子さんから電話あったらしい。何度掛けても出ない。おかしいという。5時30分電話すると、時夫君故障らしいという。心配になり行くことにした。6時夕食支度して7時夕食して8時電話する。やはりいないので行く。雨ジャカジャカ降りばあちゃん家着いてみるといない。友達の家に泊まりに行ったのかもと時夫君いう。もしや何か書いたのあるかもしれないと探す。荷物送り状あったので鉄ちゃん家へ電話したら小倉へ行くと出たという。小倉に親戚あるのかしら。私は知らない。行くなら一言言って欲しかった。なぜ黙って行ったのだろう。お金のことあったのだから言いづらかったのか。5月31日に出ている。鉄ちゃんも手紙か電話してくれたらいいのに、こちらは熱がある。あっちこっち痛むし座薬で毎日すごしている。一日だってすっきりした日ないのに情けないくらいなのに。座薬5ケぐらい入れようやく和らいでいる。朝、昼と飲まない。飲む気しない。アイスクリームも前より食べる気しなくなった。喉がすごく痛むし絞めてるみたい。9時45分帰って時夫お風呂に入り美智子と入り私は入らずポコポコして睡眠注入して休む。