母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年8月3日

6時起床。体温測定36.5度。看護婦さん来る。報告。脈測る。今朝、胸が圧迫したように痛む。背中が痛む。薬注入。たん取り。汚れているので取り替えする。吸入水取り替え。夫は水まくら取り替えて4時帰って行ったらしい。目が覚めるといない。エミリーユ、薬、水注入。お陰で血が止まる。9時30分ようやくしっこ管取る。体拭き、正岡さんが髪といてくれる。

10時40分処置時間。支えられて処置室へ行く。佐藤、菊池先生来ていた。椅子に座り血の出所わからる。ここからだと言っていた。取り替えして鼻に薬塗ってもらう。終わり支えられ自室行こうとしている時よろけた。足が弱っている。トイレ行きあまり出なかった。これから足を慣らそう。早く歩いて行けるようにがんばろう。あまり背中痛むので注射してもらう。少し和らいだようだ。11時15分点滴大小する。初めて歩く。随分弱くなっている。歩く練習しなくちゃ。正岡さんよりたん取ってもらう。3回呼び出ししてたん取りしてもらう。5時注入。薬、水200cc注入。2時母にお菓子頼んだらすぐ買いに言ってくれた。戻ったのですぐ看護婦室持って行く。退院する時にあげようと思ったのに間に合わなかった。

おばさん訪れる。おばさんはあごが痛いという。お互いに痛みは辛い。もうこれ以上は良くはならないので外泊し足を慣らすという。娘さんがいるがあまり見たこと無い。あの4人部屋で今は一人でいると言ってた。

2時30分来ないと思ってたのに突然来たのでびっくりした。連れて来てもらったという。振り向くと時夫、とっさに久君じゃと思った。本当に時夫君が帰って来たのだった。びっくりした。まさかと思った。自動車のことでもめて土曜日、日曜日で来たのだという。良かった。元気になった姿見せられて良かった。駄目だと思った。