母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年3月15日

6時起床、洗顔。7時30分食事。9時放射線科受け。9時30分取り替え。

母が佐藤先生と会い、私の病気の状態聞いたらしい。事情によれば3月中に退院できるらしい。でもあまり食べることできないらしい。柔らかいものは飲み込めるが固いものは駄目らしい。何のために放射線科受けてるのかわからない。何とか何でも食べ、飲み込めるようならなくちゃ。がんばらなくてはと思う。もし退院しても食べれるようになるまで通院するつもりである。

5時30分になっても来ないゆえ、1階に下り救急センター通りオートバイ置き場をのぞくがどうも来てないらしいので3階の自分の部屋にもどる。

6時食事時間、おもゆ、ホーレンソウひたし、ベビートマト、豆腐、ピーマン等入っていた。

6時時夫来る。おはぎ食べさせる。母が時夫にと巻きずしくれたのは持って帰った。