母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年3月23日

4時目が覚めてなかなか眠れない。寝ていても看護婦さんが来て点滴見ているのでそのせいもある。どうも喉の調子悪く通り悪し。5時10分たん取りで取ったらすっきりしてきた。もうすぐ起床時間が来る。早おなかすく。

時夫が来たら食べさせようと思いケーキと甘酒買って来てたがとうとう来なかった。この間は遅出でも12時前ひょっこり来たり、この間は8時頃来てくれたので来るとばかり思い救急センターの方へ行きオートバイ置き場見たが、オートバイないみたい。すぐ売店へ行き買い物して3階へ行き自分の部屋へ戻る。やはり寄るのは時夫にしたら無理だったのだろうか。もしかしたらと不吉な事考えてしまう。

久は私の元から離れてしまうし、時夫よ母ちゃんのそばを離れないで美智子も母ちゃん助けて協力し合っていって下さい。きっと早く良くなり29日には退院できるようにお願いしているのよ。もう少しだからがんばって下さい。母ちゃんも父ちゃんや時夫、美智子のためにがんばってますから美智子や時夫君よ、本当に母ちゃんのそばを離れていかないでね。久にもそばでいて欲しかった。なぜこっちで仕事見つけてくれなかったのだろう。あんな遠い島根県まで行ってしまって淋しさこの上なし。

6時に体温計する。36度5分。洗濯する。7時30分朝食。8時45分放射線科受ける。売店にて買い物する。すぐ自分の部屋に戻り9時35分一番先にしてもらおうと思い待つ。9時40分先生来た。佐藤先生だった。終わって部屋に戻りアイスクリーム食べる。喉の渇きにヒリヒリするのでどうしても冷たいもの欲しくなる。今日は何だか喉が前より詰まった感じがして喉の通り悪い。

2時頃母は帰って行く。歯医者に行くという。2時40分もう来る頃だと思いセンターに行き窓から眺めてたがまだ来てないようなので売店で買い物して3階に上がり自分の部屋に戻ったら来ていた。白のバスタオルにティッシュペーパー5個置いてたので来てたのだと思いエレベーターの前で待ったが来たようにもないのでまた戻って牛乳等飲んでたら夫が来た。びっくりした。美智子が来てないので聞くと藤山内科へ行って買い物してから病院へ来たらしい。

5時に来て早夫は帰るという。美智子来てまだ10分も経ってないのに。5時夕食時間。お膳取りに行ってくれるとばかり思ってたら夫は敏子が取りに行けと言う。恥ずかしいのだろうか。看護婦さんが持って来てくれた。5時15分一階の玄関まで見送って戻り、買い物して戻る。9時30分消灯時間になってテレビ見たいけど時夫は遅出なので来たら