母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年3月22日

4時15分目が覚め起きてたん取りする。すごい物音するのでびっくりした。ベル鳴らしたのか看護婦さん来たらしい。お茶飲むためにくるっと回った途端に落ちたと言ってた。まだみんな寝ているので私も寝ることにした。

7時30分朝食。7時38分洗濯する。8時40分放射線科受けに行く。ちょっと早いけど一番先にしてもらおうと思い待っていた。9時30分ようやく先生来た。一番先にしてもらう。取り替える時喉の中見る時金具が良く焼けてたのか熱かった。喉の中やけどした。急いで行ってアイスクリーム食べる。体拭いたり色々しているうち12時昼食事する。

3時過ぎ母帰り、夫と美智子来る。夜勤だと言って20分程いて帰って行った。しばらくして買い物する。5時夕食。おかず弁当に入れておいた。母に持たせたが昼のおかずも美智子来たら上げようと思って残しておいたのだが、久のことや時夫のことえらいくさしてた。私は聞いている振りしてたが嫌な感じする。じいちゃんのことは1から10までほめてた。私も育ての父だが本当に立派な父と思ってる。尊敬してたんだけどもう4月10日が命日である。何度も生きていてくれたら良いのにと思う。あまり思っていると父が成仏できないといけない。いつもあの世から父が見つめているような木がしてならない。

9時15分時夫来ると思ってケーキ、甘酒等買ってたが来ないので牛乳飲んでしまった。淋しさ逃れである。夫が言ってたが時夫に電話が久からあったという。今島根県にいるという。なぜあんな遠い所に行ってしまったんだろう。帰りたくても帰れないのに。外国よりましやけど淋しさは同じだ。久帰って以来入院してるおかげで母らしいこと何一つしてあげれなかった。残念で仕方ない。職に就いているんだったら喜んでおめでとうと言ってあげなくちゃいけないのだ。

9時23分もうすぐ消灯時間で休まなくちゃいけない。お休み。