母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年3月31日

5時目が覚める。6時起床時間、体温計36.8度。6時30分顔洗い、歯磨いたり朝の支度。7時30分朝食。8時30分放射線科へ行く。私には休みとは言わなかったので、もしかしたらと思い待合室へ行く。誰もいなかった。せっかく来たのでしてくれる。放射線科受ける。本当は今日はお休みだがと先生は言う。明日は日曜日でお休みだから来ても戸が閉まっているから、しんどかったら休んだら良いから無理しないよう言う。

私は一日も多く行って早く退院しなくては。自分でも無理してるとわかっている。喉が痛い。ひりひりする。飲み込む時痛いのでなかなか食べにくい。でも私はがんばらなくちゃ。一日も早く時夫や美智子のために退院しなくちゃと思う。買い物して部屋に戻る。

9時40分処置時間、取り替えする。キルクの話をしていたし聞く。看護婦さんがキルクと退院しおりを佐藤先生持って置いていったという。10時洗濯する。12時昼食。熱ぽいので横になる。3時美智子と夫来る。買ってたもの持たせる。夫は相変わらず何も言わない。陰気な人だ。お金置いていくかと思っていると置いて行かなかった。チャックを開けたり閉めたりしてたので私にやる金も惜しいらしい。

色々と考えると涙が出てきた。保険を担保に入れて10万円借金しようかと思う。返済金は母に50万夫に上げると言ってたから10万円私がもらうつもり。熱ぽいので体温測ったら37.3度ある。やっぱりと思った。横になっていたら4時35分時夫君来る。