母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年4月8日

4時30分看護婦さん見える。6時起床、体温測る。37度。7時25分洗顔。7時30分朝食。8時10分お膳台の上に戻す。9時体重測り、37.6kg。10時処置時間、佐藤先生。今朝ちょっと息しにくいのでたん取りでたんを取ろうと思ってしていると血の塊が出て来る。吸う力がにぶくなった。力を入れてすると血が飛び散りカーテンを汚してしまった。看護婦さんに言ったが。

処置時間の時に私が一番にしてもらう。その時先生が喉の付近が痛いのかと聞くので背中でこの付近だと言うとシップでは良くならないと言った。もしまだ痛いようだったら整形外科で診てもらうからと言ってくれた。血のことも言ったら丁度差し込んでいる上側がただれているから出るんだと言って全然心配いらないとも言ってくれた。少しは安心する。

2時体温測定、37度。洗濯したので少し疲れたので時夫君等来るまで休もうと思い寝る。看護婦さん見えたので下腹がはって調子悪いと言うと下剤をくれたので使用する。しばらくしてトイレに行く。少し出たがすっきりしない。

3時30分時夫来る。美智子は買い物へ行くので遅くなるのだろう。時夫がアイスクリーム買って来てくれた。4時10分美智子来るまで買い物に行ってくるといって時夫出かける。4時40分美智子来る。時夫は5時20分買い物より戻る。5時30分夜の食事。おかずは弁当箱に入れて持たせる。6時30分帰って行った。

私は一人ぼっちになってしまった。前の人昼過ぎに退院していった。その隣りの人も昨日退院。私の隣の人は重体で個室に入っているし結局私が最後に残った。私の退院予想が4月15日になっているけど果たして予想通りにいくかしら。きっと予想通りいくと信じる。13日か15日は必ず退院できますようお願いします。