母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年4月10日

今日はあまり眠れなかった。やはりちょこちょこ咳き込むので睡眠を妨げる。6時起床時間。どうも息しにくい。詰まっているのだろうと思いたん取りでしてもなかなか取れない。懸命出そうと思いすると血の塊ともつかない二つほど出る。そうするとしばらくしてすっきりする。こんな苦しみ味わないといけないとは何のため、情けないこと。でも思い直し熱を測り、36.5度。6時30分洗顔する。山梨にいる久、局に勤務する時夫、今日は夜勤で家にいる夫、美智子に私、無事に事故起きないようにと願う。

食事時間までコーヒー牛乳、カロリーメイトと蒸しパン少し食べたり飲んだり、今日一日元気に過ごせるようにと心のなかに念じ飲食する。9時15分体を拭くよう蒸しタオル持って来るので体を拭く。気持ち良い。下着替える。今日は9時30分に手術があるので11時ころに処置があるというので戻りベッド上でテレビ見る。看護婦さんが放射線科が呼び出し受けるまで行かないでというのでゆっくりした気持ちになった。両方共ない。どっちか先にしてくれたらいいのにと思うが11時ころというので処置が先になる。

血圧測り来る。寝間着新しいのと取り替える。11時処置時間、高須賀先生。同じ頃電気に下りてくれというし、取り替えてから行こうかと思ってるところに亀岡さんが先に行った方が良いと。先に行くことにして一階に下りる。放射線科に行く。新しい機械で2回目である。終わって診察行く。診察の折またも取るし、診たり取り外したから喉にまた入れるし2回も痛い思いをしなくてはいけないし困ったものだ。もうしばらく続けるからと先生はいう。はっきり何回受けるからと言ってくれたら良いのに。終わって売店に行く。

処置済んでないので処置室へ行く。高須賀先生、元気になった、会う度言ってる。早く済んで帰らなくてはねと先生は言う。何日頃退院できるのかしら不明。済んでアイスクリーム食べる。12時昼食時間。牛乳の飲む。1時までかかった。見ると点滴が少しになっている。声が出ないから詰所に行く。すると誰もいない。看護婦さんが来るまで待っていると来たので点滴のこと言うと詰まっているかもと言ってる。点滴下げているのが私は下げないので、下がっていたのが不思議だ。看護婦さんは背丈より下げたら悪いから下げたらいかんよと言う。

1時30分どうせ3時頃来るだろう、来るまで寝ようと思う。少し体熱ぽく感じる。体温37.4度ある。水枕看護婦さんに頼む。3時過ぎ夫と美智子来る。さっっそく夫に持って来てと水枕頼む。必要以外毛布に下着入れている箱持って帰るといって持って行く。コーヒー牛乳、カロリーメイト、卵と重たいのに持って来てくれた。ウーロン茶まで買って来た。食事時にお茶として飲むつもり。

4時過ぎ夜勤だから早く帰らないといけないと帰って行った。またも淋しくなる。早4時20分になった。食事時間になるまで横になろう。4時30分時夫来てくれた。今日は来れないだろうと半分あきらめていたが嬉しいことに来てくれた。5時25分食事時間、おかずといえば白あえとすり大根だけだった。白あえのおかずだけ持たせる。おはぎ1個置いてたが時夫に食べてもらった。その方が私としては嬉しい。6時帰る。仕事帰りに寄ってくれたので早めに帰ってもらった。