母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年4月20日

5時30分起きてたん取りしたり。6時体温測定36.2度。6時30分洗顔する。7時ジュース飲んだり水飲んだり忙しいことよ。8時10分お膳出して後でゆっくり牛乳飲む。9時昨日の日記書いたりゴミ捨てたりカップ洗ったりした後また日記書く。隣の山田さんから自分の家でみかん作っているのだと言ってみかん1個もらう。私はもらうばかりして一つも返す事できない。どうしようかと考えあぐねる。

9時30分丁度掃除来たので処置室前の椅子で座っていたら丁度佐藤先生が来る。一番に取り替えしてもらい先生が昨日で放射線科も終わったので喉のところはやはり潰すことはできないのでやはりこのままにしてると言う。この上に栓したら苦しいからやはりもう塞ぐことできないのでやはり塞がない方が良いと先生言う。今終わった直後だから荒れているので慣れてきたら治るらしい。喉にしているのを二つ程あげるから自分でするように消毒と取り外しできるように練習するように、家では鏡見てできるように、もし慣れてきたら2週間後、もし早く慣れてきたら点滴外して退院するようにするとはっきり先生言ってくれた。

昨日で電気の方終わったと思うと気持ちまでゆっくりして処置の取り替え終わって今度は体を拭き着替えたので洗濯する。乾燥室で干す。戻り喉が渇いたのでジュース飲む。丁度飲んでいた頃放送あり電気に下りてくださいと言う。変な複雑な気持ち。もしかしたら写真取るのかもと思いながら下に下りて行く。放射線受ける。先生は確か今日で終わりかもしれない、土曜日、日曜日で休みだから休んだらええわと言う。どうなっているのだろう。昨日で終わったのに心のなかで思い持って売店の方へ行きアイスクリーム食べる。

12時になった。昼食時間。横になっていると中ので練習したらいいと持って来てくれた。起きてすぐ練習する。2、3回程して少し慣れたと聞くので慣れたと言うと持って行くからと言って持って行く。2時30分体温測定、37度ある。看護婦さんが来て足洗おうと言ってくれたが熱ぽいので止めると言うと水枕持って来るというので待ってたが持って来ない。忙しいので忘れたのだろう。とうとう持って来なかった。

3時30分頃美智子来る。父ちゃんはと聞くと父ちゃんはまっすぐ行ったと言う。変わったこと言ってないという。知らないから306号に行ったんだろう。来てすぐ消毒綿買って欲しいと頼む。すぐ買いに行ってくれた。今晩よりはめること練習しなくてはいけないから先生に聞いたこと書いて夫と美智子に知らせる。来週中退院できることも知らせる。

婦長さん見える。29日に市会議員選挙あるので不在者投票のことで来たのだという。私は来週中に必ず退院するとはっきり言う。早く取り替え覚えて帰らないといけないねと言う。綿でもかまわないから消毒してアイロン掛けて使用しても良いという。消毒5分程して使用する

3時45分夫と美智子は帰って行く。夫は今日と明日が夜勤であるから早く帰らないといけないという。4時20分時夫が来てくれた。雨というのにさぞ難儀だろうと思う。もうすぐの辛坊だから我慢してね。巻きずしとおはぎ買ってたので時夫君にあげる。みんな食べてくれた。良かった。おはぎはきな粉の方食べてくれる。あんの方は私が食べる。

アイスクリーム、ジュース飲んでいると5時30分。夕食時間、おかずは弁当箱に入れてうどんは食べにくいので弁当箱に入れる。おはぎ食べて牛乳飲む。ウーロン茶半分。早7時25分になった。勇気ふるって取り替えの練習しなくては。怖い気持ちでいっぱい。でも早く慣れないと帰れないのだから、自分のだから帰ってもこれから毎日しなくてはいけない。がんばろう、勇気持ってがんばれ、自分の心の中に声援送る。