母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年4月19日

朝5時に目が覚める。たん取り、洗顔、牛乳飲んだりしてるうち6時になる。体温36.5度。看護婦さん来るまで横になってる。6時30分ようやく見える。7時20分また牛乳飲んだりケーキ食べたりする。7時30分朝食時間。8時20分ようやく食べ終わりお膳出す。9時30分までずいぶん時間あると思いベッドの上。処置時間までと思い洗濯する。ベスト2枚洗濯する。

9時40分処置時間、取り替えする。高須賀先生はこれで大分通りやすくなったはずと言ってた。11時放射線科に行く。3人程待っていた。11時15分済んで売店にて買い物して部屋に戻る。今日で終わりである。ようやく済んだ。大分苦しく痛かった。

11時45分頃母来る。何の用事で来たのか私は知らないが時計を取りに来たらいい、のぶちゃんでも時夫でも良いが取りに来て欲しいと言う。あの時なぜ持たせてくれなかったのかしら。二つもいらないから。一つはあげようと思ったのかしら。お人形がおしりをくるっとするとか言ってた。美智子があれ見て初めて笑ったとも言ってた。いりこも沢山持たせてあげたと言ってた。

12時昼食時間。母がいては弁当箱に入れないでそのまま置いて牛乳飲む。母がいては入れにくいので困ってしまった。その前に卵豆腐美智子に持たせてあげたこと知っているという。敏子が食べたかろうと思って買って来たので持たせてあげたのでもう買ってこないと言う。それで母が帰ってから入れる。その前に8階の内科に入院しているアパートに住んでいる人に会いに行って来ると言って出かける。昼から手術だといって留守だったらしい。戻って来て言う。早いはずだ。

9時頃急に部屋変わると言う。305号室看護婦さんに手伝ってもらって変わる。丁度処置時間になり行って取り替えする。2時30分体温測定37度。済んで看護婦さんに髪洗ってもらう。3時過ぎベッドに横になり4時15分になったからもうすぐ時夫来る頃だと丁度部屋を出て体拭いたタオル持って行こうと思って出たところを時夫君が306号室に入るとしたから名前呼んで自分の部屋へ導く。

アイスクリーム2個にジュース2本買ってくれた。お金だいぶ使わせた。すまない。ごめんね。おはぎとケーキ私の前の人からもらったのだが時夫に食べさせたくて置いておいたかいがあった。5時局へ戻る。これから8時までお仕事があるのにさぞしんどいだろうに時間割いて来てくれる。

早く退院できたらいいのにゆっくり時夫もできるのにね。美智子も注射してあげれるし炊事も一緒にできるし美智子は少しは薬になると思う。今日で放射線科終了しました。7時洗顔、体温37度。点滴見るともうなかったので詰所に行き新しいのをしてもらう。もう少し遅れるときれいになくなってしまうのに本当に良かった。看護婦さんも喜んでくれた。