母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年4月22日

5時30分目が覚める。6時検温、起床時間。6時30分洗顔、ガーゼ洗う。7時たん取り、取り外したり差しこむ練習する。7時30分朝食時間、カロリーメイト飲む。8時10分済みお膳持って行くともうない。途中看護婦さんが配膳室まで持って行ってくれる。ガーゼ洗いに行く。タオルあまり汚れているので洗う。

9時20分体重測定、38.2kg。前のと同じ。そのまま処置時間まで待つ。私2番目に診てもらう。部屋で取り替えているので先生は自分で取り替えできるかと聞く。朝取り替えたのですと言うと今日はいいだろうと言ってしなかった。

10時30分時夫君が来たので処置室まで連れて行く。丁度患者さんがいなかったので良かった。20分ほどお話する。家に帰っても先生が県病院に来院外来で来る日にちを言うので言った日にちに来ないと器官が狭くなり苦しくなるからと言ったという。消毒方法約5分ほどする。

お話説明済んで部屋に戻りアイスクリーム買いに行ってもらう。アイスクリーム1個食べる。11時45分時夫帰る。オートバイで来たという。私は美智子と一緒に来たと思ったらまだ眠っていると一人で来たのだという。帰ってお昼ごはん食べて美智子連れて来るからと帰って行った。美智子は買い物に寄って来るから4時頃になるだろう。

佐藤先生は今の糖分の多い点滴が済んで糖分の少ない点滴に変えるという。それ済んで二日後が退院できるしい。時夫が26日大安に退院希望していると先生に言ったのだという。早く26日にならないかなあ。少しずつ何回も分けて食べないとやせてくるから少しずつでも分けて食べることにしよう。もう7分で12時。

12時昼食時間。豆腐、卵の蒸し物、おかずは弁当箱に入れる。いちご、キウイフルーツ持たせる。3時40分売店に行くがお休みだった。救急センターまで行き良く車が見えるのでしばらくいてたが来てないようなので地下の食堂へ買い物に行く。