母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年6月8日

6時起床。6時30分体温。水枕取り替えてもらい時夫君自宅へ帰る。7時35分食事時間、出る。9時30分処置時間。体拭きに看護婦さん2人来る。9時40分処置室に行き取り替えてもらう。宮本先生、胸のレントゲンの結果肺炎起こしてその上こじれているという。

10〜11時35分休む。11時35分食事時間、出る。1時点滴、中をする。2時体温測定。3時過ぎ美智子と夫来る。4時20分自宅へ二人とも帰る。5時佐藤先生見える。点滴をこれでは痩せすぎていけないから高カロリーにしなくてはいけないので胸にワイパー差し込む。痛むので痛み止め注射してからする。あまり効かなかった。少し痛かった。これも仕方ない。

5時30分終わる。さっそく夕方より前のように点滴する。大に高カロリー源の点滴に変える。先生が来て良くなるまで食事一切水以外中止になる。また良くなったら食事を出すという。これも仕方ないだろう。自分が悪いのだから。先生との約束だから水一切中止することにした。

5時35分食事時間。早速晩より食事出ない。6時〜8時休む。ふてくされ寝。食事出ないということはこうも淋しくおなか空くのだろう。わびしい夕方。辛抱第一。背中のレントゲン撮りに来る。汚いたん出る。頻繁にたんとつばが出る。ペーパーだいぶいりそうである。

8時体温測定。時30分看護婦さんに注射頼む。

8時35分時夫君来る。私が心細いので付き添いに泊まってくれる。嬉しかった。やはり我が子よ。何てありがたい事だと思う。私は病弱だがやさしい親孝行の子供3人持って母より姉より幸福だろうと心から思うことと感謝の念に絶えません。時夫君毎日しんどいのに付き添いまでしてくれてありがとう。

9時30分消灯時間。注射してくれる。お陰でぐっすり眠れる。