母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年6月21日

今朝は晴天。暑くなりそうである。さわやかな朝である。6時起床。時夫君起きて水枕取り替えてたんを取って帰る。すっきりした。ありがとう。6時30分体温36.7度。

病状書いて知らせる。この間打った所尾てい骨が今朝は響くし腕はずきんずきん痛む。目薬差し込んでくれた。本当に今日はさわやかな朝を迎える。午後より三人共来てくれるだろう。遅いのがいけない。もう少し早目に来てくれたらいいのにと。夫も逃げるように帰るし余計惨めで淋しさ感じる。もう少しおてついて来れないものかしら。

尻餅ついた所打つ時はわからなかったがうずいて初めて知る。看護婦さんに言うと少し様子見ることにした。まだ続くなら本当に診察してもらわないとと思う。時夫君言うようにひびが入ってたら困るから。そのうち良くなるだろう。

早6時45分。これから8時まで休もう。少ししんどくなる。7時35分食事時間、中止。今日は食事出るかしら。当分出ないだろうか。豆乳1缶昼だけ出るだけだろうか。おなか空いて仕方ない。点滴だけではどうも空く。

今朝気付く。昨日までつば飲み込んだ時喉通り悪く、つばを飲んでも強くしないと駄目だった。豆乳も飲みにくく出るのは前より少ない。口から出す方が多い。喉につかえた感じ。でも朝からつば飲み込んでもスムースに飲み込める。良くなっている。良かった。たんの出少なくなったが朝つばの出少なくねばっこい。つば3時過ぎになると多くなる。おかしい。

9時30分処置時間。看護婦さん来る。おしぼり持って。私は体拭いて横になる。少しして処置に行かなければと思い支度している所に血圧測りに来る。先にしてもらい血圧122〜60、バッチリらしい。良かった。

9時45分血圧200からあったのにどうして良くなったのかしら。やはり点滴のせいもあるのだろうと思う。測定終わってしばらくして婦長さん来る。そろそろ行ってみようと思っているところだった。行ったら1人診てもらい1人座っていた。後私処置室に入る。

10時10分取り替えてもらう。ただれ分が良くなっているという。胸のことは言ってくれない。どうしてだろうか。私は知りたいのに。胸の痛み時々ひどく痛む。押さえていたむは相変わらず。自分の体ながらどうして痛むのかもわからない。肺炎多分良くなっていると思うけど、どうも痛むのがおかしい。早く知りたい。たんは少なくなっているので治っていると思う。肺がんではないかと心配だしお乳のぐりぐり相変わらずである。今度看護婦さんに言って乳がんではないかと心配だから検査して欲しいとお願いしてみよう。次に目を診てもらおう。入院してる時に悪いところ治していこう。

10時30分胸掛け作ってみよう。うまい具合できるかしら。ひもがないのが困ったのである。もしかしたら久オートバイで先に来ると思ってたのがお昼してから3人で来るのだろう。早く会いたいのに。

11時35分食事時間、中止。とうとう朝豆乳出ない。点滴(主食用)。婦長さん朝昼で1缶。昼と夜分持って来る。12時15分美智子一人で来る。美智子お昼の弁当持って来て食べる。夫は温泉に入りに行ったという。のんきでいいものだ。私は一人ベッドの上痛みこらえて何でこんなにも差があるのかしら。

早く退院しなくては。子供や夫の待つ我が家へ。久も帰って来てくれたのだから。また突然山梨に戻るとは言わないだろう。前のように予測なし急に大阪に行くというのでびっくりする。おてついておれない。

2時に久来ると言ってたらしい。丁度2時になった。もう来るだろう。オートバイで来るのかしら。それとも一緒に来て途中用事でどこか行ったのかしら。4時にここに来てまた慌てて夜勤だからといって三人帰って行くのか。淋しい限り。

今日も無事に飲むことできた。良かった。おいしかった。少しは胃の中に入っただろうか。出るのは前から大分少なくなった。でも後から出てくるから弱りものだ。喉の中は昨日よりましになった感じする。半分置いて晩に置いとく。ヨーグルト夫買って美智子に渡したらしい。おいしくもなくすっぱいと腐りやすくおいしことないからみんな持たせて返そう。それに飲むと出るので嫌なのである。よだれかけが濡れて気持ち悪くなる。変えて欲しいと言っても無理だろう。言わない。

乳のぐりぐり看護婦さんに言う。場所も教えたからそのうち何かあるだろう。検査してほっとしたい。30年間がんではないかと心配ばかり。一度は吉村で診察してもらう。昔は梶ヶ谷と吉村先生の恩師らしい。その所に紹介されて久2ヶ月の赤ちゃんだった。お父さんとお母さんと一緒に行く。その時先生診察の結果リンパ節炎と言ってた。放っとくとがんになると言われた。早あれから久30才になる。お父さん亡くなる。本当リンパ節炎あの時取って除いたら良かったと思う。別に痛みもないしあまり大きくならないので放っといたのだが。あれから30年近く立つ。毎日押さえては鈍い痛みに心配している。そのうち検査してくれるだろう。期待している。

2時体温。2時過ぎ美智子買い物に行く。3時20分美智子戻って来る。夏布団買って重たかろうに。4時20分夫温泉から戻る。アイスクリーム買ってアイスクリーム2個。かき氷2個も買って来る。食べれないのに。車を置いているから早く帰らなければといって4時20分たった2、3分おって帰って行く。やっぱり淋しさ感じる。もう少しおったらいいのに。どうしてだろう。帰りたくてうずうずしているとは情けなや。あわれやら。重いから手下げ分持ってくれると思いきや夫は軽い布団の方持って美智子は重いのに言わなくても父は子供のため重い方自分持って軽い方は子供に持たせるのが親心であると思う。

2時に久来るというので待ってたのに5時に来た。口には出さないけど泊まってくれるつもりで来たのかもわからない。帰ると言ってたが引き止め泊まってくれと言うかもと思ったかもしれない。でもまた時夫の事考えるともしかしたら時夫君泊まってくれるかもと思い引き止めなかったが、もしかしたらまっすぐ久泊まってるつもりでまっすぐ帰ったかもしれない。また不安募る。淋しさ余計増すばかり。注射頼んでいるからしてもらって休もう。そうすると淋しさ不安もなくなるだろう。時夫君寄って下さい。お願いです。まさか二人とも泊まってくれないとは思わないから。

7時点滴(小黄色)する。8時体温。看護婦さん来る。尿6回、大便なし。乳房の所のぐりぐり見せてとういので見せる。押さえてみてくれる。脇も痛み言うと押さえてみる。明日眼科へ申し込んでくれた。久冗談に言ってると思う反面本当かもと思う。でも本当に看護婦さんに頼んでくれた。明日言ってくれるだろう。9時30分消灯時間。注射頼んでいるのでそのうちしに来るだろう。