母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年6月23日

6時起床。6時35分体温36.7度。久6時30分に帰って行く。急に淋しくなる。7時35分食事時間、中止。私はおなか空く。8時10分トイレに行き歯を磨き顔を洗う。

婦長さん眼鏡持って来る。初めて使う人にはちょっときついから今度月曜日に持って来るという。やさしく思いやりあってちょっと厳しいけどええ人のようにもある。婦長さんともなると自分にも看護婦さん達にも厳しくしないといけないからいつもピリピリ。私はどうも近寄りがたしである。何だか怖い。話しかけにくい。でもやさしく思いやりあって良い人と思う。

9時30分処置の時間。9時20分婦長さん蒸しタオル持って来る。体拭く。9時40分血圧測りに来る。120-60。処置室に何人ぐらい待っているだろうかと聞くと4、5人はいるというので1人か2人おる頃に行こうと思いおてついたもの。待っているのはしんどいから最後にした。取り替えするだけ。放送で処置してない方は耳鼻科処置室で待つようあったので行くとまだ4、5人いた。

待つのしんどいのでようやく順番来てしてもらう。久し振りの先生だった。ただれ部分良くなっているという。良かった。もうすぐ食事できるかしら。良くなっている。やっぱり入院しなくてはいけないねと何だか皮肉交じりにいう。そう聞こえたが野田さんは辛抱しすぎだからと言って苦笑いしていた。取替えすんで部屋に戻る。

また回想録書こう。11時20分掃除おばさんしに来る。丁度回想録書いていると看護婦さん来る。今すぐ腸の検査するから行ってくれという。腸が悪いのかしら。横っ腹が痛い時あったからだとも疑惑持ちながら行く。生理・理学と書いてあった。びっくりするやら不思議な気持ちで入って行く。案内されてベッドへ横たわる。しばらくして先生来る。さぞ痛いだろうと思ってるとただぐりぐりを押さえた時痛かった。コンピューターでしただけである。乳がんでない事祈る。

11時35分戻る。点滴する。黄色小。11時35分小さい点滴終わり婦長さん取りに来る。1時30分点滴小取り替え。2時体温36.7度。報告終わり。2時50分点滴取り替え大1。

4時30分もう美智子来る頃だと思ったら久だった。美智子は寝ているという。夫は日勤だというし土曜日来るといってたのにバスで来るつもりだったのかしら。明日は日曜日で時夫に連れられて来るだろう。夫は夜勤。木金土久来てくれた。今日も泊まってくれるのかしら。銀天街に行ったが、寿司頼んだが小僧寿しあるのかしら。まあ買って来たのを食べるだけ。今は食べるよりかむといった方が早い。

時夫君はちょっと寄って帰るのかしら。交代でいてくれるので嬉しい。淋しくなくなって良かった。久君は少しでもおいしい物食べれるようにと寿司買って来るという。何て嬉しいこと。夫はそうはしない。すぐ2、3分おったら帰る方だからこっちは情けなくなる。こんなにも私のそばにいるのが嫌なのかしら。

5時35分食事時間、夕食何も出ない。淋しいなあ。7時点滴注射、小主食用。8時体温36.5度。平熱。8時38分点滴の所のテープはがれかかっているところをテープ貼ってもらいに行く。明日貼り替える所だったという。注射言うと待ってといわれた。ついでにしてもらおうと思ったのに。