母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年6月24日

6時起床。体温36.8度。報告終わり。少し微熱あり。久君朝食のため帰る。7時35分食事時間、中止。豆乳なし、カステラ少し、ウーロン茶少し。9時30分体重測定なし。

9時50分処置時間。取り替えする。本当に良くなっている。いっときの間に治ってという。顔もふっくらとしてきた。髪の毛伸びたから切らなくてはという。看護婦さんが栄養満点だからと先生にいってる。先生は違うよ、素直さが良かったのかなーとも言ってた。入院したのが良かったと先生は言う。冗談交じりに話しながらする。前入院してた時よりも何故か先生とも打ち解け親しみある会話。私のような女と親しくなってとっても嬉しい。看護婦さんとも顔なじみばかりで本当に親しみ深い。気安く言える人(正岡)でも今日ほど冗談言ったの初めてである。ブローチ見せる。可愛いといった。

11時50分点滴主食用小取り替える。2時検温。36.7度。胸の点滴貼り替え。5時35分食事時間、中止。私は豆乳の半分とカステラ、パン。昨日の夕方にぎり寿司買って来たので一箱ある。今日はウーロン茶10個も買ってパン2個買ってくれた。ありがとう。おいしかった。ミニクリームパンは持たせる。4時過ぎに三人来る。時夫、久、美智子で4時過ぎ来る。もう来ないのかとあきらめてる所に来たので嬉しかった。

5時ちょっと過ぎ会社の行きがけに寄ってくれる。5時30分3人とも帰る。主人は会社へ。久はオートバイで来たとばかり思ったら一緒に来る。久君は一人でオートバイで泊まるつもりで来たのだと思ったら今日は時夫が泊まってくれるらしい。8時30分頃来ると言ってたから待ってたら来るだろう。

たん少なくなる。つば多くなる。しばらくして具合悪くなりおけつ痛む。眠ろうと思っても眠れない。吐き気がする。あまり具合悪いのでベル押そうかと思ってたら時夫君来てくれた。良かった。やはり来てくれた。看護婦さんと思ってたら時夫君だった。ほっと安心する。その事情話すともう少し様子見ようと思いしばらくすると収まってしまった。やれやれ良かった。ほっと安心する。時夫君も安心したのだろう。

9時30分注射してもらう。消灯時間。テレビ消して休む。毎日打つせいかなかなか眠れない。今に眠れるだろう。うとうとする。いつのまに寝たのか。また急にすごく脇からかけて腕痛む。すごく痛む。おけつもずきずきする。丁度看護婦さんが点滴見に来たので時夫君が病状言ってくれる。注射打とうかと言ってくれたので頼む。すぐ来てしてくれた。お陰で痛み和らぎ眠る。4時過ぎだった。ついでにトイレに行く。また朝まで眠ることできた。良かった。でも注射してから血が出て止まらないので困る。テープ貼ってくれる。

やはり先生から豆乳だけ飲むように1缶もらって1日1缶飲んでいる。でもおなか空くのでつい買って来て欲しい。自分で行くべきなのについ美智子に頼む。売店はどうも行きたくないという。とうとうこの前も行かなかったのにまた繰り返すとは馬鹿な女じゃと思う。買ってもらわないとがっくりする。大バチくらった。やはり言われたことは実行しなくてはと思う。これから食べたくても辛抱しよう。そのうち食事出るだろう。明日は乳房の所にしこりがあるので組織取って調べるという。麻酔局所痛み止めかして切り取るのかしら。明日が心配で怖い。知るためには頑張らなくてはと思う。

眼鏡のことで婦長さんがしばらく貸してくれる。最初の眼鏡を買うと頭が痛くふらつく場合もあるからと私のあげる眼鏡あるからといって貸してもらう。来週といってたから今週中に眼鏡の度調べてもらうつもり。これでいつでも買えるという。買ってくれるのかしら。