母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年6月25日

注射のせいかうとうとして眠気する。6時起床時間。水枕替えてたん取りしてくれて帰って行った。さぞしんどかっただろうに。でも若いからさほどないか。6時30分体温36.8度。8時30分婦長さん見えて眼鏡持って来る。最初の時の眼鏡です、新聞や本の字見るのに良いといってしばらく借りることにする。

早速本を買って来て読もう。楽しい。嬉しくなる。病院に来て良いことばかりある。看護婦さんとも親しくなるし良かった。大分肥えてきたと思う。先生も顔がふっくらとしてきたと言ってくれた。

9時30分処置時間放送あり。今多いだろうからしばらくして行くことにする。看護婦さん見え蒸しタオル持って来る。体拭く。10時50分処置室へ行く。宮川先生。取り替えする。良くなっている。

11時30分食事時間、中止。豆乳持って来る。半分と思って飲んでいるうちみんな飲んでしまう。ケーキパン食べる。2時点滴。主食用小。大はまだある。3時体温、37度。報告終わり、山西さん。

5時35分食事時間、中止。美智子に晩食べるのに買って来てもらおうと思って頼むが行くの嫌がる。週刊誌今晩読もうと思っていたのに行くのも嫌だったらしい。がっかりする。仕方ない。本当は自分が行かないといけないのにごめんなさいね。無理なこと頼んで。これから気を付けてもう二度と何も頼むまい。久にもにぎり寿司頼んだのは最初で最後である。誰にも頼むまいと心に誓う。

美智子は2時40分頃来た。時夫は5時20分に来る。用事があるのでと途中で降ろして行ったという。それでどこに行ったのだろうか。遅く来たが6時35分水枕替えてくれてごみ捨てて美智子連れて帰って行く。淋しい。でも仕方ない。時夫君に来ないで良いと言ってくれと頼む。そうするともう来よるかもしれないという。それだったら仕方ない。もしおったら言って欲しいと伝える。7時点滴注射時間。8時40分体温。9時に注射頼む。9時30分消灯時間。