母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年8月17日

6時起床時間。検温36.7度。報告中塚さん。おなかの痛み薄らぎ胸痛む。6時40分洗面。弁当箱洗う。箸も。戻りしなトイレ行く。ようやく下痢止まり普通の便になった。注射のおかげかそれとも薬のためにかおなかの痛み薄らぐ。ごろごろなってたのも止まったみたい。おならもまだ出てない。良かった。

7時22分流動食始める。終わって花の水替えたり捨てたり。バスタオル持って行って寝間着洗濯。かごに入れて、もうすぐ先生来るだろと思い今日は一番にしてもらおう。いつも最後だからと思い待合室に待っていると中塚さんせっかく座っているのでその間にアルコールで髪を拭いてあげると言って拭いてくれた。

10時流動食時間。部屋に戻り食する。しんきくさいけどゆっくりしないとまた下痢するらしい。せっかく止まったのにまたあると嫌だから。10時20分血管注射する。目の前ギザギザして手も足も変になりテレビ見難くなる。何故だろう。やはり注射のせい。

11時30分終わり運動のためにと思い売店へ買い物行く。地下の食堂へおにぎりといなり寿司買って来た。部屋へ戻りキャンデー食べる。冷たくおいしい。でも喉を通れないのでつまらない。味合うだけだが口に入れるだけでも幸福だと思う。夫がお陰で元気に働いてくださるゆえ私はゆっくり入院できるしまた小使いとして10000円もらう。本当に私は幸福だと思う。子供も三人とも必ず来てくれるし何も心配なく入院できてありがとうね。

母は16日の夕方10時に船に乗ったと思うけど無事に大村に着いたろうか。久方ぶりに鉄ちゃんに会えて喜びあってるだろう。私も行きたかったが入院中ではどうすることもできない。今度7年忌が来るがこのごろだと今より慣れて元気になっているだろう。行けるかもね。鉄ちゃんすみません。初盆で7回忌だというのに行ってあげることできずすみません。お許し下さい。英あんちゃんごめんなさいね。

今日は時夫君遅出だし夫は日勤で美智子来れないだろう。12時5分食事時間、中止。1時流動食。2時体温36.7度。中塚報告。少しおなかが痛む。2時30分処置時間。佐藤先生はおなかが良くなったから退院の準備しなくては。帰ったら自分で何もかもしないといけないので一人で薬付けてしないといけないと言った。もうすぐ退院だろうか。

4時流動食。5時20分終わる。5時25分食事時間、中止。6時流動食。久君来る。水枕取り替えてごみ捨てたり汚物処理所に捨てに行ったりしてくれたので大助かり。おなか痛むので横になりたい。なぜ早くすっきりしないのだろうか。もうすぐ退院も近づいたというのに早く良くなって欲しい。

7時久君帰る。洗濯物持って帰ってもらう。天ぷらも持って行ってもらう。時夫君にはパン食べてもらおう。7時点滴注射なし。毎日注射1本血管にする。8時体温36.9度。報告。8時時夫君来る。いなり寿司を1個ずつと思い3個買い持たせてあげようと思ったが久君が3個とも食べたので時夫君にはケーキをあげる。ジュースと飲んでくれ良かった。食べてくれるのが一番うれしい。

小雨降っているという。テレビに大雨注意報が出たらしい。雷、大雨とひどくなったらいけないから早く帰ったらいいと思い帰って行く。9時流動食。初めて自分で最後はした。終わって持っていく。注射する。注射のせいか何だかふらついたみたい。トイレに行き休む。今日も一日無事に過ごす。ありがとう。皆様のお陰でようやく元気になりました。もうすぐ退院らしい。帰ったら自分で消毒、傷手当、朝昼晩の流動食忙しい毎日始まる。9時30分消灯時間。