母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年8月19日

6時起床時間。体温36.2度。尾田さん報告。おなかは注射がまだ効いているのか、和らいでいるせいか少し気持ち悪い。今朝起きたら頭痛と胸痛するので座薬もらい入れる。少し和らいだ。6時55分流動食貰いに行く。食前注射して食後注射、おさゆもらって部屋に戻る。

7時食事する。7時17分終わり食後の注射してさゆ入れる。詰まっているのか入れるのに苦労する。少しこぼれたけど仕方ない。これから洗って注射器持って行く。8時50分処置場に捨てに行ってボール洗い部屋に戻りたん取り、傷手当する。

9時20分処置時間。今日は一番にしてもらった。先生はにこにこしていた。熱も下がったしおなかも良くなったし血も増えてきたと言ってた。いつでも退院して良いと聞かなかったかと私に聞く。私は聞いてないとまだかと先生は言った。傷手当も覚えなさいよと最後に言う。

10時流動食詰所に行く。戻り食す。10時30分地下の食堂に買い物行く。11時30分部屋に戻りアイスモナカとカキ氷食べて休む。12時食事時間、中止。12時50分炊き込みご飯半分。1時流動食済みきれいに洗って注射器持って行く。

2時体温36.6度。宇都宮さん報告。座薬のせいか今のところ痛みなしである。少し楽になったが夕方近くなるとなぜ痛むのだろうか。3時休む。美智子達来るの待ってるが来ないところみると今日は来ないのかしら。時夫君は午前中試験があると言ってたが今度こそ試験合格して欲しいと念願する。

4時流動食取りに行く。4時5分始めなかなか出てこないので困った。どうも詰まってるようである。5時亀岡さん来る。22日手術だという。私と同じで声も出ない食もできないだろうという。お互いにがんばろうと励ましに来てくれる。とっても嬉しく思う。

体重測定34.4キロ。前の日曜日の時よりやせたよう。本当に声は出ないし食べることもできないし良いところひとつもない。心のなかはいつも悲しみと淋しさに打ちひしがれているけど顔には出さない。くじけずがんばろう。家に帰ったら皆に迷惑かけないよう自分でするようにしよう。がんばろう。これから美智子に楽しい思い楽にしてあげよう。

5時15分になっても三人共来ない。どうしたのだろう。久は6時ころになったら来てくれた。時夫は試験終わって泳ぎに行ってると美智子言ってた。5時過ぎ来た。ちゃんと家から氷作って持って来たらしい。水枕にと入れ物に氷入れてくれる。

7時になって三人共帰ってしまった。いっぺんに淋しさが押し寄せたみたい。でもがまんしよう。もうすぐ退院も間近に迫っているのだ。もう使わないものは持って帰ってもらった。8時体温36.5度。宇都宮さん報告。9時流動食詰所に取り行きついでに注射してもらう。流動食しながら私は食す。済んで洗いに行き9時30分消灯時間。今日も一日無事に過ごせました。ありがとうございました。これにて休ませてもらいます。おやすみなさい。