母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年9月14日

5時15分目が覚め起きて牛乳注入する。吐き気して吐く少しきついので吐くのだろうか。気分悪いがしばらくしておさまった。洗いやけしてみそ汁作る。夫起きてくる。7時夫食事。7時30分美智子注射して食事する。7時40分流動食済み9時傷手当てする。10時行く支度する。10時30分県病院行く。10時50分着きカード袋に入れ耳鼻科に入れる。すぐエレベーターで2階へ行く。大分待合に人が沢山いる。木曜よりいる。どのくらい待ったのかしら。一番前で座ってると夫は横を通り抜けイスを叩いても見向きもしない。また通り過して下に降りて行く。

それから10分ほど待ったろうか。佐藤先生名前呼ぶので治療室に入る。別室の治療室で喉の所取り替えしてくれる。きれいだ、白いのは心配いらないと言ってくれた。傷のところもきれいと言った。吐き気する事伝える。エリミールを半分にして200ccお湯入れてしてみたら胃薬出しとくからと言ってくれた。吐き止め薬も終わって代金表もらい下に下りて代金表12番の入れる所に入れてイスで待つ。名前呼ばれて紙に名前書いて1万円札を一緒に差し出す。5480円も払わないといけないので高いのでびっくりした。1万円札持って行って良かった。夫は散髪に行く。まだ来てないから終わってないのかしら。もうすぐ来るだろう。代金支払い済んで薬を待ってたら来た。券あげてようやく143番来て夫が取りに行ってくれたが何だかエリミール2箱しか持ってない。なぜだろう。薬出ないのかしら。

もらって車の所へ行く。車の中は蒸し暑い。焼けている。帰りしなに買い物行く。私は早く帰りたい気持ち。でも美智子に付き合うことにして行く。私が買おう思ったのにやはり美智子が主婦みたい。私は入院生活が長かったせいか、食べれるうちにおいしいものして食べさせてあげたいと思うけど、少々高いものでも買うけど美智子はやっぱり子供である。少しでも高いと買わないから無理というものだ。じっとこらえてあまり買わなかった。支払い済ませて外に出る。車の所に行く。乗った途端夫はティッシュペーパー一人一個だから何故買わなかったと聞く。

薬局に寄り私はまた欲しい物あっても買えないので下りずにおろうと思い、でも夫はお金を美智子にあげないので心配になり下りて行く。犬のエサ他界物済ませて帰る。今度は整備工場に寄り車のミラー取り替えてもらう。本当に車の中は暑い。汗だらけだ。早く帰りたい。喉もからからだ。終わって帰る。時計持ってないから時間わからない。確か4時過ぎだろう。しばらくして炊事する。

6時15分久君も時夫君も帰って来る。7時食事する。私は洗いやけして後で食事する。しんどくなり横になる。とうとう朝まで寝てしまった。みんな風呂に入ったの知らなかった。大分流動食して具合少し悪いだけだ。熱も出ないし病院に行って良かった。時夫君が自分の事のように協力してくれるゆえ大助かりである。12時15分休む。今日も無事に過ごせて良かった。ありがとう。おやすみなさい。