母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年12月20日

夫5時40分起床。美智子起こされて食事支度。食事して6時出勤する。7時注入支度。7時35分食事、注入する。10時15分時夫君起床。食事。部屋の掃除、洗濯してくれる。夫より電話あり。倉庫にビールあるので冷蔵庫に入れて冷やしてくれとのこと。美智子食事終わり寝る。未だに起きてこない。野菜ジュース注入しようと思ったがあまりドロドロなので飲む。おいしくない。12時8分時夫君遅出勤務のため出勤。喉の取り換えて洗ってくれた。私は大助かりであるが時夫君はさぞしんどかろうと思う。この頃やつれて見えるが私の目の錯覚か。病気にならないよう頼みますよ。美智子も元気になったようだ。目が充血してたが眼科に行かなくてもよさそうだ。調子に乗ってみそ汁、リポビタン、ファイブミニなど注入したらおなかが痛む。無茶したんだろうか。12時14分ラーメン作る。

6時22分夕食。夫帰る。ビール一人で飲む。おいしくないだろうにと思う。夕食済み一段落。洗いやけ済まし早11時23分。体拭き。急にしんどくなり風呂入るの止めにする。湿布貼って少しはましになろう。美智子また目が痛いという。眼科に行った方が良いと思う。モモはどろんこになって美智子に洗ってもらう。気持良くなったろう。懐かしい映画があっている。石原裕次郎北原三枝主演でしている。14、5年前ぐらいのだろうか。懐かしい映画。11時45分白黒のは見にくいのであまり見ないうちに終わった。子供たち二人風呂に入り私はしんどくなったので体拭く。時夫君にカロリーメイト半分注入。薬も注入してもらう。