母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年12月26日

夜中にえらい風強い。傷跡がいつも6時前になると痛むし咳込むので目が覚める。まだ起きるのに早いので寝る。咳込むのでお茶飲もうと思って起きてストーブ火をつけて洗いやけ。6時30分夫起きて来る。食事早いのでしないという。注入支度。7時ビスケット、コーヒーで注入待つ。終わってリポビタン注入。8時10分ドラマ拝見。終わり8時39分洗いやけしよう。10時28分病院出かける。着いて耳鼻科へ受付して内科へカード差し込みして2階上がる。大勢の人でびっくりした。水曜日だからあまり来てないと思ったらいっぱいだった。12時過ぎるだろう。今日は高須賀先生に診てもらう結果になると思う。佐藤先生はいない。喉診てもらって薬もらったら良いのだから。12時5分未だに名前呼ばれない。1時5分の内科へ行かなくてはいけないのに間に合うのか心配だ。本当に間に合うのかしら。12時10分約1時間待って順番来る。高須賀先生だが佐藤先生に変わってくれた。取り替えて診てくれた。薬も出してくれた。

1時7分ようやく終わり内科へ行く。1時10分尿検査行く。また戻り7番で待つ。しばらくして呼ばれ入る。診察する。血圧測定120/70良である。おしっこはきれいである。良くなっているので薬続けて飲んだ方が良いという。熱は出たり引っ込んだりするという。痛み止めと咳止め薬はカプセルらしい。睡眠薬というと座薬の痛み止め出しとくという。終わって会計へ出す。薬待ちで寒いので車の中で待つことにした。なかなか遅い。帰りは3時過ぎになるだろう。早く帰って注入したい。おなか空いても食べることも飲むこともできないのでつまらない。なかなか遅くなるので5時に取り行くといって家に戻る。帰りに買い物する。風冷たく震え上がる寒さ。あられ降って来た。食料品代美智子出してくれる。着いてすぐ夫は食事して出かけて行く。すみません。私のために苦労かけ迷惑かけて本当に悪いと思う。しばらく横になり5時30分夕食支度する。6時10分食事するには早いのでしばらくして注入する。7時30分食事する。8時10分洗いやけ。胸当て洗い。8時30分時夫君帰って来て食事。私は具合悪くなり横になる。12時10分体拭いて休む。佐藤先生暗い顔に怒った顔してたので気になる。