母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年4月24日

先生は知らん先生で萩森先生だった。西垣先生は火曜日だが手術でいないという。確か家出たのは7時40分。9時に検査で行かないといけないといってた。休み貰ってた。9時まで着くだろうか。気になってしょうがないらしい。血を取るだけだから一緒に下りて待ってるかともいう。行ってみないとわからないと病院へ行く。8時50分着く。カード袋に入れて保険カード袋に入れて外科待合室へ行くがいっぱいで入れないくらいだった。大方後ろぐらいに座った。それから30分程経ったのでくたびれた。時計早9時45分夫は検査に行ったのかしら。戻って来たと駐車場入場券預かる。確か私の声聞いたようなので中で待つと次々から診察室に入る。看護婦さんは順番まだ来てないので外に出て名を呼ぶまで入らないで下さいという。私は初診にしてるんではないかしら。萩森先生ようやく名前呼ばれ入るがベッドに座り見せようと思ったらまた待ってと看護婦さん言う。忙しいこと。患者さんまだ終わってないのにその間にしてくれる。ほんの空いた時にするらしい。取り替えるのだ。西垣先生はちゃんと注射してするのであまり痛くなかったが今度は何もしてくれない。管入れる時少し切ったらしい。管入れてふくらましてと先生言っている。手当して出した汚物見たら出血してた。痛み止めの注射してくれたら良いのに。手当して終わったという。やれやれひと安心した思い。

診察室出てカード出しお金支払い私は売店で2千円ぐらいの品物買ってカキ氷550円買って車の所へ行く。少し雨が降ってた。その時は何故か喉乾き牛乳、コーヒー、カキ氷、ジュース等、カキ氷二つも食べた。おなかお冷えになったのか7時20分注入。食事あまり欲しくない。ただ冷たいのが飲みたい。ただ段々おなか痛む。傷跡も痛む。座薬挿入する。あまり痛みにこらえきれずまた座薬入れる。少し収まったようである。段々ひどくなり治るどころかすごい。どうしてだろうか。熱37.2度。あまりなくて良かった。夫に水枕して欲しいというと怒るので言い難い。美智子は本当に時夫君に頼まれたのでしていると本当に良くしてくれた。助かった。何もかも美智子におぶさってしまった。1日10回程水便してパンツ5ツも汚してしまう。電気毛布も汚してたのでクリーニング店に出そうと思い取り外しているけど今度はすごかった。敷布も上布団はカバー洗ってきれいになったので良かったが人間の私はにおい取れないから薬つけたらにおい取れるだろう。そばに寄ったら臭うと主人は言う。私の鼻は音痴であまりにおわない。多少は臭いますが申し訳なく思います。おならと思ってすると水便になってしまってパンツ3ツも台無しじゃ。仕方ないもの。熱37.2度。水便あり。喉のところは取れかかってぶらぶらしていた。しないといけないと思いもう早2時。朝方の2時だ。美智子さんごめんね。風呂に入り汚いので洗って入る。上がり取り替えする。手当てする。注入する。トイレも汚してしまった。掃除する気になれず毛布汚してしまって悪く思います。今日は毛布取り外しクリーニングへ早くして欲しい、寒いから。