母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年5月17日

5時30分起床。注入支度。美智子おとなしく寝ている。起こすと悪いので声出ないのも丁度良いかもしれない。7時12分注入しみそ汁、コーラ、茶飲む。睡眠薬入れて注入して風呂入りまっすぐ寝る。美智子起こされ早10時10分になってた。本当は県病院に行くはずだったがどうも内科へ行くらしい。時夫君個人病院に行くという。もし検査等あると延びるしやはり来週の火曜日にしよう。少しの辛抱やし行ったってどうなるわけないし、こらえこらえの人生だから。

朝起きて体中湿布貼ってスイスイと気持ち良いよ。今朝トイレしようかと思ったら洗濯済ました方が良いと思ったから先にしてトイレ掃除後にする。耳と目が通じてるせいか痛む。どしてだろう。たん取ると目と喉のところすぐ痛む。熱なし。下痢便収まったみたい。尿が近いし異常なしで良かった。肺炎も大したことないらしいのでまた良くなってもないらしいから次血を取るという。ふらついたり貧血起こすといけないので血取るらしい。夫帰り何を忙しく2階を下りたり上ったりしているのかなあ。久の荷物がまだだった。送ったものかと思ってたよ。早く送ってあげてね。久待っています。首長くして待ってますからね。本当は母がしないといけないのに二人に任せて申し訳ありません。お許し下さい。

夫は自分で食事して出かけたらしい。夜勤と思ってたが早出だった。私は6時30分目が覚める。肩や腰、胸辺りと痛む。夕べ熱37.3度あったのに風呂に入って寝たがそれほど心配した事無くて良かった。美智子は具体的に言えば淋しかったのだろう。町歩いても前はよく二人で歩いてたのに入院して以来一人でぶらついてたのだからそりゃ淋しかったやろ。無理しても相手にしてあげよう。私は自分を大切にして入院できないように自分大切にと思ってきた。これからなるだけ無理してお付き合いをしてあげよう。それが母親なのだ。ごめんなさいね。長いこと気付いてあげなくて。この間ワラビを自分一人でこんなに取ったのよと摘んできて見せた。何だか時夫君ばかり可愛がって自分そっちのけにされた。自分も可愛がって欲しい。少しでもちやほやされたいと思ってるのに母ちゃんは相手もならないし自分には冷たい。何もしてあげることないのにワラビでも摘んでほめてもらいたいと思ってるのに時夫君連れて行ってくれないと淋しいのだ。母ちゃんに甘えたいのだ。もうひとつは子供の泣き声うるさい。本当にうるさい。私も頭が痛むし落ち着きなくなるから一歩でも外出したい気持ちわかる。今月はお金と調子悪さで病院行き辞退したから思えば本当に済まない。美智子が悪いのじゃない。時夫君職を見つけたら仕事に行くだろう。そうすると結局は二人きり。美智子にしてもらわないといけない。なるだけ向こうの部屋で食事、注入する方がいいと思う。