母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年7月不明

12年前に高須賀先生に手術受けまだおなかに変なものがあるので放射線科受ける。無事に過ごしてました。一昨年熱で約1ヶ月間休みました。平成2年1月5日倒れ運ばれる。水分不足のため脳血栓冒しているとのこと。手当て受け、息しにくいために器官に穴あけてする。耳の横のぐりぐり取りする。鼻より管通しすると通らないので胃から穴あけて管通して食物注入するという。時夫と相談する。決意してしてもらう。乳のところもぐりぐりを取ってもらう。これなら大丈夫と言ってくれました。高須賀先生が言ってくれました。佐藤、西蔭先生と高須賀先生だった。今年の6月無事退院する。2度目の入院は短かった。3度目の入院。血が出るので肺に腎臓機能悪いと言われ毎日点滴に通院する。3回点滴する。今年4月、3月末に退職する、辞めていない。淋しいです。

一睡もできない時があった。2度程血が出た。ようやく前のと取り替える。随分楽になった。たんは多いしつばも多くなった。佐藤先生がつばも飲み込まず出さないといけないという。取り替えてからも血が出る。菊池先生が来て下さって様子見ようといった。血が出たあとにたん取りしたら血ともつかないどくろみたいなのが付いてきた。吸入式しながらたん取りする。ようやく息しにくくなくなった、それ以外の出血は出ないけどたん取りするたび血の塊出る。今は止まった。ようやく尿の管を外してもらい体拭き、髪といてくれた。正岡さんに。

初めて治療室へ行く。診察室入り取り替えする時に佐藤先生は血の出所はここかと言っていた。鼻が痛いので薬塗ってもらう。菊池先生、顔が丸くなっていると言った。腫れているのだろう。毎日注入、薬、注射したり点滴大きいの1、小さいの1ケする。この間より注入増える。日曜日、今日治療室へ自分の足で行く。痛くてしょうがない。少しふらつく時もあった。随分足腰弱くなった。治療受け取り替えする。先生が家ではどのくらいしているかと聞くので200ccしていると言ったらそれは少ない、もっと勉強してから帰ろうねと言った。歩く練習しないといけないといった。確かもう一人先生がいたと思ったら中に入ると先生一人だった。これから退院するまでに歩く練習してスムーズに歩けるようにならないといけない。来てみると高須賀先生の姿見えないので淋しかった。大変世話になりながらお礼言って別れたかった。

平成3年7月16日に3度目入院する。時夫入院すすめられる。7月16日に時夫が病院に連れて行ってもらい手当て受ける。佐藤先生が入院しなさいと言いそのまま入院する。喉の器官のところが化膿しているので血を止めるため喉にする。2回ほど血が出る。薬と点滴で治療受ける。息が苦しいししにくいため大変難儀した。先生に言って替えてもらう。少し楽になる。

佐藤先生、菊池先生だった。その間採血したりレントゲン受け、肺の方も大分良くなっているといってくれた。良かったと思う。貧血状態なので輸血したが合わないため心配する。先生が血を洗って加工して保存しているのでそれをするという。輸血3パックする。お陰で貧血治り少し元気になった。高須賀先生が前に入院している時に輸血したのが良かった、水分不足だとも言ってた。2度目の管取り替えて楽になった。度々たん取ってもらう。