母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年7月16日

出血多量にて肺炎ひどくなり思い切って救急病院へ連れて行ってもらう。着いてすばやく手当て受ける。佐藤先生が入院しなさいというのでそのまま入院する。血が取れるまで器官にはめる。その晩は息苦しいやら胸やら痛む。横腹、背中痛む。先生に無理言って替えてもらう。先生は製品は良いしこの方が良いと言ってくれるが私無理頼んで替えてもらう。お陰で息楽になる。

時夫君9時45分来て泊まってくれる。朝、水枕、吸入水換え、6時45分帰る。7月28日名古屋勤務のために出発する。またも親の元離れて行くかと思えば淋しい。悲しかったがでも時夫の初門出だから顔で笑って心で泣いて辛かった。長い間看護してもらい、美智子のわがまま聞いてもらいありがとう。私のことも自分のようにしてくれありがとう。時夫君なしではいけません。そうもいきません。これから時夫の幸福見つけて下さい。