母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年8月5日

4時35分、12時30分尿に行く。歩いて行きトイレまでが難儀である。すごく両足痛む。ふらつきはないけど早くスムーズに歩けるようにならないといけない。がんばろう。夫が8時30分頃来てくれていた。良かった。ほっとする。母にタルトを持たせて上げた。甘いもの好きだから。ごみ捨てて水枕替えてくれ6時30分帰って行く。今日と明日は夜勤だから泊まれないという。困った。母に頼み泊まってもらおう。よしこさんより良いから。5時に来るのできっと泊まってくれるだろう。

6時体温測定36.8度。6時50分薬2本注入する。両足と背中に湿布貼る。早く歩いても痛くないよ。がんばらなくちゃ。8時53分体拭き着替える。9時30分処置時間。私は最後ぐらいに行こうと思い新聞読んでたらおばさん来て先にしてもらえというので先にしてもらった。早速お礼いって少し話す。帰りたいけど体が言うこと聞かないといってた。7号室まで行ったのは初めてだ。リハビリのつもりで少しずつ慣らさなければいけないといった。ありがたいことです。私のためにわざわざ頼んでくれたと思う。お互いに声出ず喉に穴あけて本当に同じ。でもあきらめず助けてもらったこの命、きっと声出て食物も胃に通るようがんばる。きっときっとだ。きっと元気になって二度と入院しないようがんばるぞ。それを果たすまで絶対死なない。盆までには帰りたいと思う。これから足慣らし、エリミールの勉強して胸のレントゲン写り、内科診察の上でどうもなければ帰れると先生いう。

9時40分取り替え、青野先生。10時30分血圧測り、11時40分点滴大小。注入、薬終わり吸入してたん取り。1時30分美智子来る。3時30分には帰らないといけないという。夜勤だから。今晩も来てもらえると思っていた。私の勘違いから夜勤で駄目という。母に頼み来てもらおう。明日も美智子にと夫は言ってたが断った。晩も来てくれるからという。5時に母は来ると思う。その時頼み来てもらおう。美智子は注射があるため来れないと思う。本人も言ってた。美智子外出する。1日も早く病気克服したい。

1時50分体温36.3度。痛み止め注入する。美智子外出より戻る。夫夜勤のため出ないといけないので3時30分までに待合室で待つようにと言ったらしい。私は上がってくるものと思ってた。美智子はそろそろ下りてみると言ってたら夫来る。美智子遅いので来たのだろう。新聞と本持って帰ってもらう。3時40分美智子、夫帰る。帰ったら電話して欲しいというと5時には来るからといいしないつもりらしい。でも母は待っても来ない。日にち遅れの新聞読んでしもうてなくなった。読むものなしである。4時45分注入のためミキサーしている。もうすぐ持って来る。今日は早かった。吸入当てながらたん取りする。粘りは取れた。目薬持って来てくれた。

6時になっても母は来ない。今晩も来てくれると思ったので断ったら夜勤で来れない。明日もという。母は5時来るといってたので来たら頼んでみようと思った。夫にも電話して欲しいと頼むと5時には来るからといい電話するのが嫌いらしい。融通利かし母の所にちょっと寄って頼んでくれたらいいけど、そんな融通利くまい。まっすぐ会社に行ったと思う。連絡つかないので駄目だろう。今晩は一人寝だろう。早く注射してもらい早く休もう。淋しいから。久早く帰って来て欲しい。12日は遅すぎる。待ち遠しい。8時までに来ると信ずる。

8時点滴小する。たん取りする。今日は大分たん出る。8時20分体温測定36.4度。薬注入。とうとう来なかった。夫は電話してなかった。どうして嫌なのかしら。本人が来れなかったら電話して頼む方が本当だと思う。がっかり。淋しく一人で寝ないといけないだろう。仕方ないから。9時睡眠注射してもらう。下剤注入。9時30分待っても来ないので休みます。今日も無事に過ごせました。ありがとう。皆さんおやすみ。