母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年10月27日(入院)

いつもの時間に起床。今日はいよいよ入院日。気が気でない。どうしようかと迷ってるばかり。夫は朝早く起きて、ごみ捨てに行って来たり忙しそうにしている。私は子供を犠牲にしてまで入院したくない。良くなっても嬉しくないと思って止めようかと思ったりもする。でも、もし止めて取り返しつかないことになって余計子供を困らせる事になるのが目に見えるようだ。途方に暮れたら一番難儀で可哀想なのは美智子なのだから。やはり入院するべきか。

夫は電話掛けに行く。だんだん時間は近づいてくる。12時45分昼食支度する。12時58分昼食。美智子は急にMへは行きたくないという。またも私は困る。夫は美智子はどこに置いて行こうという。私にはできない。朝注射しないと死ぬ以外ないのだから。それわかっていて私は行くことはできない。時間は迫るばかり。2時には家を出るつもりだったが、とうとう遅くなってしまう。私は手術したくない。手術しても声は出ないという。本当に元気になるかもわからないし、保証もないのだから。

3時20分家を出る。時夫も着いて来てくれた。4時半頃県病院に着く。早速入院手続き済ませ耳鼻科へ行く。看護婦さんが呼びに来て着いて行く。入院室は308号室で個室と思いきや大部屋で4人入る所だったのでびっくりする。明日にでも言って個室にしてもらおう。早速、脈拍、検温、血圧測定、注射でまけないかテストする。それが終わり6時半。時夫と美智子は食堂へ行く。7時3人共アパートへ帰る。

後、私は一人ベッドの中。9時より食べることも飲むことも一切できないので寝ることにした。9時消灯時間。寝ようと思うけど眠れない。隣の人は痛い痛いというし、いびきはかくし、物音はするしでなかなか寝付かれず弱ってしまう。