母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年10月28日

朝6時起床の知らせ。検温。私は安静にして顔洗うこともできない。7時食事時間。私は食事なしである。7時15分夫は美智子連れて来る。早速注射しに行きなさいと看護婦室にやる。やっと注射して戻って来たのは7時35分。ずいぶん遅いので心配した。

8時55分看護婦さんが見え、寝台を持って来てその上に乗って、9時過ぎにまた見えて今度は心電図室に行き呼吸度調査。そこで約30分間待った。息は口でするようにして鼻もちゃんとふさいでしまう。約30分間近くして終わり。

病室に行くと美智子が時夫が面会室に来ているというので美智子と共に行き、食べて良いか聞いて食堂へ行き定食頼み食べる。終わって少々買い物して美智子、時夫君二人帰るようにすすめる。早速二人は帰って行く。急に淋しくなる。私はそばにいて欲しいけど、元気な者はじっと病人と一緒にいるの可哀想だから。横になることもできないし、ただじっと座ってるだけはつまらないから。淋しいけど、また心配なるけどそれをじっとこらえて帰らせる。

美智子はおなかが痛いと言ってたので心配になる。薬はシロンも正露丸もないので困るだろう。ちゃんと買ってあげたら良かったと思う。後の祭りというものよ。見送って病棟に行くと早食事の時間だった。食事は昼食(アマギ煮付け、大根1切れ、すり大根少々、人参1切れ、厚揚げ、白菜、糸こんにゃくのお汁物)食べた直後で食欲なし。今頃どのへんかしら。それとももう着いた頃かしら。

昼は定食10時頃食べて11時に昼食なのに食べれない。ごはんも喉につかえて食べれない。ずいぶん残した。4時電気炊飯器に米といで水を入れておいたが、痛んではいないだろうか。もしかしたらと気になってしょうがないけど、気にしても仕方ない。4時夕食(ごはん、ぎょうざ4切れ、白菜、糸こんにゃく、厚揚げ)。お汁物か煮付けかわからないおかず。

6時40分夫来る。パジャマ買って来た。早速着替えることにした。7時アパートへ帰る。9時消灯。水も食もできない。胸が急に圧迫感じる。首は痛まないがどことなく悪くなってくるように思う。