母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年5月10日

6時起床。喉渇き牛乳、お茶、ジュースと飲みトイレ、洗濯、炊事場拭き9時朝食、注入する。10時過ぎ喉取り替え、傷手当て。しっこちびって風呂入る。リポビタン注入ついでに睡眠薬混ぜて注入する。お風呂上りしんどくなったので休む。夫に8時15分薬もらいに行ってもらう。1時30分帰ったの薄々知ってたが食料品代1万円くれるよう書いてたがくれなかったので美智子ヤキモキしている。2階に上がって寝ているという。私起きて夫の所に行きお金くれるようせびる。2時に行くという。時夫がどうも連れて行くという。2時前急がせて買い物に連れて行く。2時40分夫起きてゴミ集めている。白い袋にゴミ入れたらいけないとつい小さいことまで言っている。うるさい。2時35分ジュース等飲んで濡れたのでまた風呂入り布団に潜る。何だか熱ぽく感じる。うんちなし。熱37度。

二人は買い物へ出かけて行った。夫は3時頃起きてラーメン食べている。ごみ集めてゴソゴソしている。もう4時30分帰って来ないが構わないのだろうか。6時に出ないといけないと言ってたのに遅くなるが心配になる。5時30分帰って来た。遅いと思っったら、ちゃぼのこと心配で頼んでいたから見に行ってたらしい。死んではないがいなかったという。本当生きていて欲しい。時夫君急に食事して行くというのでおかず支度する。わらびとふきの煮付けとさわらのムニエルにしてあげる。ふきは前から嫌いだったがやはりふきだけ残して食べてた。7時20分時夫君オートバイで出かけ預けるという。無事に着いて欲しい。本当に健闘祈る。丁度出かける前に時夫君よりカーネーションの鉢物母の日のプレゼントで送ってくる。時夫君より聞いてたので。高級過ぎる。嬉し涙出る。毎年ありがとうね。一生忘れない。

7時過ぎ夕食する。洗いやけ済まして9時30分美智子風呂に入り私は睡眠注入して風呂入り少し早く休みます。今日も無事に一日過ごせました。ご苦労様。久君愛知に着いてほっっとしているだろう。早く手紙来ないかなあ。待ち遠しい。時夫君まだ着かないのか。電話なし。心配だ。元気にいてね。