母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1991年5月9日

6時30分目覚めるが背中がちくりちくりと痛む。夫食事してる声がする。行く頃行って来るねと声かけて行く。6時とうとう起きれなかった。申し訳ない。8時注入。美智子してくれる。リポビタン注入する。食事してからトイレ掃除しよう。今日ほんのちょっと朝寝坊許してね。体の調子すぐれず。でも行くとなると美智子に付き合わないといけないだろう。淋しがってるんだ。本当に友達作ってあげないとね。私がこんな体だから母も何とか友達探してあげるよ。もう少し頑張って元気になってから亀岡さんに娘さんいてたけど聞いて友だちになってもらうよう尋ねてみるね。5月15日内科行きで少し早めに行って亀岡さんに見舞い行ってお話しして。病気克服してまた美智子と一緒に買物行こう。良く買い物行きましたね。今ね一人買い物して淋しいでしょうね。きと元気になって付いて行くようなりますね。母がんばりますよ。久君や時夫君や美智子君のためにきっと病気克服して元気になってみせます。待っていてくださいね。

9時15分トイレ掃除、玄関拭き掃除、洗濯。時夫君起きて来て食事。洗濯干してくれる。11時15分首の所取り替えてもらう。12時30分時夫名古屋試験受けに行くため予約行く。私達と美智子先に昼食する。焼きそばおいしかったよ。ありがとう。久方の焼きそばだった。2時30分時夫君焼きそばで昼食。ぼつぼつ支度して美智子に付き合わないといけないね。家にいて寝たいよ。少しハッスルしすぎてしんどくなった。でもわがまま禁物。気持ち張り詰めて元気出せ出せ。病気に負けるな。元気出してがんばれ。心の中で言い聞かせる。弱虫の母親、泣き虫、病虫。

ナナがちゃぼをじっと見てるのでまさかあんな事しようとは思わなかった。私はせりがないかと皮の下を見つめたにの水が出てるし少し喉を潤そうと思い水を手ですくい飲んでいるとちゃぼがうるさく鳴きながら家の横に行って噛み付いているので手で叩いたが離さない。ナナと言っても声が出ないので聞こえようがない。それで棒があったので叩いても離さない。許さない、ナナを許さないと心に思いながらちゃぼを話すまで叩いた。その反面叩いている自分が嫌になったし怖いと思う。ちゃぼが死なないで欲しい。悲しい出来事だった。せめて死ななかったのが慰み。本当に死ななくて良かった。ナナは車の下に潜って出て来ない。余程私が怖かったのだろう。ちゃぼにはすまない、酷いことしてすまない、許してくださいねと心の中で謝った。ナナには叩いて痛かったろう、ごめんねと謝った。早く来ないかなと待ちあぐんでる私。何だか虚しい、悲しい気持ち。美智子も時夫君もどこまで行ったのだろう。待ち遠しい。淋しく思えた。ショック受けてがっくりしました。

4時二人戻りて三人は我が家へ帰る。着いてたんぽぽ湯がきイタドリ、ふき等湯がいておく。夕食支度する。7時30分注入。夫帰りて食事する。8時何だか寒くていけない。どうしてだろうか。私も食事してこよう。夫ビール飲みたき込みごはん食べ満足したでしょう。ご主人様。