母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月6日

5時半採血来る。6時採尿、検温する。6時半体温計取りに来る。36.5度あった。7時朝食時間になる。時夫と美智子来る。早速美智子注射行く。私は朝食する。ずいぶん食欲出る。みそ汁、おもゆ、牛乳。おもゆは飽いたが飲まないわけにはいかずみそ汁に混ぜて飲む。7時15分夫会社へ行く。

8時体温測る。10時点敵する。点滴する前注射する。11時昼食時間。まだ点滴終わらずもうしばらくこうしておく。12時ようやく点滴終わり昼食する。おもゆ、みかんジュース、牛乳。半分以上飲む。ジュースはみんな飲む。牛乳は美智子に置いてあげることにした。それから日記たまってたので書くことにした。

1時美智子食堂へ食べに行く。やはり美智子は一人前。ちゃんと何事もできるしちゃんと一人で食べにも行けるし一番のけものにしたのは母だった。子供が嫌いでもあそこまで馬鹿にする事ないと思う。私はきっと一人になるとしなければならないことはすると信じてた。私はうんとほめてやりたい。できないことも自分でやろう。やらなければしてくれる人はないのだからと思った時はちゃんとやることできるのだと初めて美智子もわかってくれていると思う。時夫は何だか食欲ないようだ。食パン一切食べて大丈夫なのかしら。

1時15分少し疲れたので横になる。忘れてたが今日は10時40分頃手当てに来る。上の取り外す。今日一日様子見るらしい。これからたんは吸い取らなくて済むし時夫も少しは楽になってくるだろう。私のために寝ずに看病してくれたそうで本当にありがとう。夫たる則夫がしてくれるものと思ってたのに。でも最初辺りは昼頃なんかしてくれたんだから皆良く私にしてくれた。下の世話までも。本当にありがたいことよ。感謝してます。

2時ベッドで検温してると部屋を変えるからとおばさん来る。急に来るのでびっくり。慌てて用意してまたいてた所、308号室に変わらされる。折角落ち着いて来たし親子3人寝れるというのにまたも離されてしまった。何と無慈悲な冷たいものか。でもそうもいかないだろう。少しふらふらしてたがずいぶんしっかりしてきた。

母がふとんや毛布を持って来たのでそれを時夫がアパートへ持って行く。アパートと病院間違っているんじゃないかと思うくらい沢山の布団や毛布や色々持って来るのには呆れる。時夫が一番難儀な思いするのに。

4時夕食時間。ようやくおかゆになる。おかずは煮付けやらみそ汁おいしくない。残した方が多い。6時時夫と美智子食堂へ行く。6時半夫見える。部屋変わったことびっくりしたようだ。夫が頼んで部屋を変えさせたと思ったが夫は頼まないという。私が大分良くなったので大部屋に変わらせたのだろう。

7時時夫、美智子先に帰る。夫は何を探しているのかと思ったら入院費用の明細書だった。時夫が持って帰ったというとすぐ出て行く。8時まだ過ぎたばかりだというのに眠たいのか早前のベッドに人電灯消す。後私も眠ろうかと思うがじんましんで眠れない。一晩とうとう眠れずかゆみと痛みに過ごす。