母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月9日

6時体温測る。6時35分歯磨き顔洗う。6時40分寝間着とパンツ洗う。後乾燥室で干す。7時朝食時間。後ベッド上でカセット聞く。8時35分あまり遅いので外まで出ると車がある。すれ違いだなと思い部屋に入ると美智子食べていた。ほっと一安心。しばらくして時夫と久来る。あまりしゃべると私がしんどいと思い黙っている。そのうち夫も見える。久、今日戻るという。仕方あるまい。今度は冬休みまで会えない。淋しいことだ。でもこんな状態ではゆっくり話すこともできないから早く元気になって退院したい。

9時15分また来るからと言って時夫、久、美智子三人出ていくので私は外まで送ると後から夫が来ている。夫も一緒に乗って行ってしまう。付いて行きたい症状にかられる。急に淋しくなった。外は寒い。早く中に入らなければ。急いでエレベーターで三階まで上がる。しばらくベッドの上で寝る。

10時過ぎ傷の手当受ける。11時昼食。食事後ベッドでラジオテープ聞きながら寝ているとしばらくして母来る。12時また花持って来てくれた。パン食べて急に美智子がいないからおはぎ買って来て食べようといい買いに行く。1時25分未だにどこまで買いに行ったのかしらないが来ない。アパートまで行ったのかもしれない。

もう30分程したら久は出発していくと思いながら書いているとひょっこり久、時夫、美智子、ばあちゃんと来る。夫は来てないと思ってると車の中にいるという。どうせ来てるんだったら上がって来たらいいのにどうしてなんだろうか。やつれた姿でやつれた顔見たくないのだろう。情けないなあ。

1時45分しばらく話しをして出て行く。私も一緒に行きたいけどそれすらできない。車のところまで見送りに行く。夫は他所の人みたいに知らん顔している。だんだん私に対して冷たくなっていく。淋しいかぎり。いっそずっと入院しておこうかしら。

車が出ていった後、母はおはぎ買いに行く。私はすぐ病棟に行って日記書く。2時体温測定。母が早速おはぎ買って来てくれたので2個も食べてしまった。2時50分母帰って行く。メガネ代を払いに行くとか。母も毎日忙しいそうで何より。

時夫と美智子来る。4時夕食時間。5時35分ベッドに横になる。夫は珍しく時夫に1万円くれたという。どういう気持なんだろう。さぞ時夫も喜んだろうと思う。7時体温測定。7時35分看護婦さん来る。熱36.9度ある。少し熱ぽいのでもっとあると思った。なくて良かった。美智子や時夫の淋しい顔見るとやるせなく辛い。早く我が家へ帰り一日も早くおいしいごはんにおかずこさえて食べさせたい。そんな日がいつ来ることやら。夢かもしれない。でも夢じゃなく今月中頃には退院できるよう努める。本当に退院はいつだろう。美智子は指を数えて待ってるというのに。8時15分もうすぐ消灯の時間。