母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年11月10日

6時検温。6時30分看護婦さん来る。36.2度ある。大分平熱になった。7時朝食。7時40分美智子来る。早速注射してもらい朝食させる。8時40分時夫がみそ汁碗持って行ったきり来ないゆえどうしたものかと心配になり、美智子はそのまま帰って行ってしまったのかと心配になり探す。食堂にいてたので美智子安心したのだろう。もしかしたら置いてきぼりされたのではと思い心配したと思う。今は時夫だけが頼りなのだから。

8時45分時夫と美智子帰ってしまった。何だか淋しそう。 付 いて行けるものなら付いて行きたい。でも入院の身ではどうしようもない。ただ一日も早く退院するのが一番だと思う。出て行った後どうしても淋しい。どうしようもない。やるせない。胸が詰まりそうな気がしてくる。

1階で本と牛乳、ビスケット買って3階へ上がる。10時手当て受ける。今日は知らない先生だった。ひげが生えてる。はなひげの若先生だ。鼻を手術して失敗した先生とか。診てもらうの怖いみたい。左の喉頭悪いとか、だんだん良くなると言ってた。それに退院はまだかと聞く。高須賀先生が診て退院の日は知らせてくれるものと思う。来週の中頃かと思う。まあ気長に落ち着いて養生しよう。

11時昼食。今日はおいしかった。時夫なんか着いてどんなにしてるだろうか。風邪引かなければ良いが。テレビ見ていると放送で面会ですと言われ面会室に行くと兄さんの嫁さんとその姉さんだった。二人連れで見えていた。手術前状況と手術後聞かれたので言うのに少ししんどくていけない。看護婦さんは歩けるのだから歩いて来ますから待っていて下さいと部屋には通されなかったとのこと。なかなか厳しい。姉さんは缶詰類、その姉さんはジュース5本くれる。部屋まで持って来てくれて、あまり声を使わず大事になさいといって帰って行った。

2時40分体温測定。36.8度。寝てカセット聞く。4時夕食時間。6時15分夫来る。姉さんからもらったもの見せる。コーラあげると飲んでくれた。しばらくして母が来る。また時夫の仕事いう。しつこく言うと思うと、母はこんな年取ってるのに働いて、若いのに遊んでると思うと腹立つと見える。仕事したくてもない。とっても辛く惨めに思う。その心は誰にもわからない。私には時夫の気持ち良くわかってので黙ってるんだ。でも母には気持ちわからない。遊びたいので仕事しない、見つけないと思ってるんだ。夫もわかってないのだ。

7時母はみかん3個持って行く。夫はバナナ、みかん、りんご持って行く。見送ってまた3階に上がると体温計持って来た。体温36.6度。8時久し振りに紅白歌合戦見る。9時消灯時間ゆえ休む。5日ほど通じないので薬もらって飲む。