母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年12月7日

6時半熱36.4度あり。昨日隣の波多野さんの娘さん退院。空いてるベッド見て淋しくなる。私はいつ退院できるのかとあきらめと不安抱く。淋しい気持ちぬぐいさり今日もがんばらなくてはと心に言い聞かせる。6時52分洗濯、顔洗い。7時朝食。

9時半美智子来てインシュリン注射する。早速朝食させて10時に車の所へ行くが見当たらない。3階に上がり馬原さんが処置室で診察しているという。美智子を面会室に連れて行き処置室に行き診察受ける。

時夫と主人見える。タイヤを替えに行ってたらしい。6千円もいったらしい。11時昼食。久保さんは食べに行くのでいらないと持って来る。私の分も一緒に入れてあげご飯は鍋に入れて持たせる。12時15分車の所まで送ってあげる。早く退院になったらいいのに。そうするとおかずなんか心配することないのにと思うと悲しく思う。

耳や鼻の人は1週間や10日ぐらいで帰れるのに私はなぜこんなにも長く入院しとかなくてはいけないのかしら。11時半地下食堂へ行き久保さんとでうどん食べる。1時までテレビ見て自室に戻る。1時40分体重測定。2時検温。36.8度。相変わらず喉痛し、食道狭し。

4時夕食時間。4時10分地下食堂へ食べに行く。中華そば食べる。5時久保さんと喫茶店へ。紅茶飲む。5時40分病室に戻りしばらくして美智子等来る。おかずとごはん持って行けるよう詰める。7時10分外まで送る。

7時20分急いで病室に戻り体温計る。36.6度。テレビ見る。9時消灯時間。