母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年12月9日

夕べは良く寝てたが朝方隣の人が尿の検査で看護婦さんが来たので目が覚めてしまった。6時半検温36.4度。6時40分顔洗ったり歯を磨いたり。7時朝食時間。村田さん牛乳、みかん持って来る。久保さんみそ汁、十亀さん食パン、牛乳持って来る。お陰で買わずに済む。

美智子来るまでと思い寝る。うとうとしてるけど、眠ることはできない。昨日入院した人が手術のため支度している。9時美智子来る。注射して朝食する。

9時40分久保さんは退院するため服に着替えている。みかん持って来てくれる。何だか嬉しそう。もう帰るのではないかと308号室に行くといてた。まだご両親は見えてなかった。十亀さんのご主人が来ている。大分いいようだ。家のこと主人と良く相談してくれ、2、3日したら来るとか。果たして家を買うかしら。夫は家を買う気はないようだけど。

10時20分久保さん会計ができたので詰所迄来るようにと放送があったので久保さん行く。精算書もらって私も電気治療受けに行くため一緒に降りる。待合室で久保さんとお別れしてまた会う日を約束し来週土曜日に来るからと言って別れる。

私は治療を受けるために台に乗り約20分間受ける。これが済んでから放射線科診察室へ行く。前と同じく喉は痛むし物は飲みにくいし困った状態になる。飲み込む時どうしても器官に入りやすいのは声帯がぺたんとなってるのでどうしても器官に行くらしい。それは治らないが声は今より少しは出るようになるからとのこと。声は諦めているからといっておいた。命拾いしたのだから余計贅沢言ったら罰が当たる。全然出ないと言われた声が少しでも出るんだから喜ぶべきだと思う。

11時10分自室に戻りもう食事着ていると思ったのに来てなかった。308号室に行って久保さん帰って行ったこと確かめる。急に寂しさ感じる。11時15分昼食時間。この頃は良く眠くなる。日記書いて寝ようと思っている所に十亀さん見える。やはり久保さんいなくなり淋しくなったと言って来る。しばらくお話して戻る。

明日食道の透視があるので検査のため9時から絶飲食。明日は忙しい。2時半体温測る。36.5度。3時まで寝る。お風呂入る日だから誘いに来てくれたがあいにく処置があるとのことで待ってたがなかなか放送しない。風呂入れないかもしれない。早く処置済んだらいいのに。

4時になる。食事時間になるのにどうしてないのかしら。4時半入院して初めてこんなに遅く診察あったのは。高須賀先生だった。明日透視があるのでまず検査してからだと言ってた。どうなるのやら心配だ。5時風呂に入る。6時十亀さん話に来る。久保さんいないので淋しくなってきたのだろう。

6時15分美智子達来る。靴ズレが痛むらしい。付け替えて包帯巻いてあげる。面会室へ行きしばらく話をする。美智子おなか空いたので帰る。20日頃退院になればいいなと時夫が言うので私もそのつもりでいるけどと答えておいた。早く帰りたくてもできないので情けないのだ。帰りに主人から200円もらいたこ焼買い急いで部屋に戻る。

7時検温。36.5度。たこ焼食べようと思い十亀さんの所へ行き二人で食べる。お話をしてると9時の消灯の合図で部屋に戻り日記を書き終わったら休むことにする。