母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1980年12月10日

今朝は検査のため絶飲食ゆえお茶飲みたくても飲まれない。それより喉が昨日より痛くつばを飲み込んでも痛く喉の奥が狭くなっているため飲みにくい。たんやつばが良く出る。6時半体温36.5度ある。体の調子すぐれず。

7時朝食だが絶食ゆえ食べず美智子来るまで寝ることにする。9時美智子来る。注射して朝食させてる所にシーツ取り替え来る。9時半処置室にて生徒さんに見せて白いぶつぶつとかふくらみとか言って見せている。こちらは苦しくて吐きそうになりむせる。終わって戻る。

10時美智子、時夫君1階待合室で待っていた。明日夕方来ないかもしれないと言っていた。10時40分食道の透視で行く。検査の服着てカメラ台の上に乗る。何回もバリューム飲んでやり直しをしたができなかった。残念でならない。喉も狭くなり痛いし私だけが日が経つに連れ悪くなっていくようだ。情けない。良くなっていくのだったら待っているけど逆だからがっかり。

出て治療室に行く。済んだのが11時15分。十亀さんのご主人見えていて良く家の事話をしといてくれという。夫は家なんか買うつもりなんかないのにはっきり断るより他ないだろう。自室に戻ると食事置いてあるので食事する。約40分かかって食べることできた。ゆっくり食べないと食べれないので味もおいしくない。何もかもつまらない。いっそ駄目になって死んだらいいと思う。情けない限り。良くなるどころか悪くなるよう感じてしょうがない。私のひがみかしら。

しんどいので寝るけど眠れない。十亀さん話に見える。4時夕食時間。あまり食べれない。ごはんも喉を通らないので弱ってしまう。でも負けないぞ。半分ほど食べて出す。5時十亀さん来てお話する。十亀さんと売店に行って面会室でシュークリームとプリンごちそうになる。その時財布忘れて看護婦室に取りに行く。主任さんはネブラザーしてないのだろう、すぐするよう連絡あったからというので10分程して自室に戻る。財布もらいに行ってもらわずに戻るとは情けない私だ。それを言ったら十亀さんがもらいに行ってくれる。

十亀さんの部屋で話をしてると母が来る。私が308号室で話をしてること教えたらしい。自室に戻るとシュークリームやジュース等持ってくる。そのうち夫見える。透視のこと聞くので駄目だったこと話す。母はどんなか先生に聞いてみたらと夫に言ってたが夫は嫌なのだろう。うんとは言わなかった。

7時夫も母も帰る。外まで夫を送る。寒いので慌てて中に入る。まだ体温計取りに来てなかったので良かった。しばらくテレビ見る。8時40分シュークリーム3個ずつ持って行く。9時15分自室に戻り日記書く。