母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年3月28日

5時に目が覚める。しんどいので起きなかった。6時起床時間、体温36.5であった。晩は36.9あったのに朝になったら下がってたので良かったと思う。6時30分歯磨いたり顔洗ったりする。8時45分喉のが取れて下に落ちたので詰所に持って行き新しいのをしてくれた。本当に有難うございました。助かりました。

支度して放射線科に行き受ける。戻りしな地下に行きバラズシ、イナリズシ、アイスクリームと買って、一階に行き売店に行き牛乳、ケーキ、美智子注文三角のが良いらしい。ウェハースケーキ等買い三階に戻る。

今日はシーツ換えできれいなシーツがかかっていた。汚すのが恥ずかしいからバスタオルかけておく。10時より掃除来る。外に出て終わってからアイスクリーム四ツ食べる。牛乳一つ飲む。ウーロン茶は少しずつ飲む。11時55分もうすぐ昼食時間。

12時昼食時間。昼ごはん済み洗濯物、美智子に頼もうかと思ったが雨だし乾くのに難儀したらいけないので自分でする。1時過ぎ処置室から呼ばれたが点滴の所貼っていたのですぐには行けないので終わってから行く。

喉の所外す。キルクの小さいのを小さく削って先生は来てはめてくれたが苦しかったので止める。しばらくこのままでいて慣れるよう、また違うのをすると佐藤先生は言って戻る。

3時30分夫来る。温泉へ行き美智子は病院で下ろしたらしい。11時頃来たが内科へ、外食するからと言ってバラズシにイナリズシ買ってあげていたが食べずに行き4時30分戻って来た。時夫君も来て二人共食べなかった。帰って食べると言うので持たせてあげることにした。夫は5時前に帰り美智子は5時40分頃帰って行く。夫は美智子が遅いので部屋に来たので一緒に帰って行く。

時夫は6時35分までいてくれた。なぜ夫は帰ろうとばかりするのかしら。美智子は明日と30日、二日間病院におる気持ちらしかった。朝から一人ぼっちなので淋しいのと心細さとがあるのだろう。でも朝早く5時か6時には家を出るらしい。病院は8時30分からしか開いてないので注射のこともあるしで取りやめることにした。残念だが仕方ない。

8時45分おなかすいたのでケーキやプリン食べる。9時30分消灯時間、休まなくてはね。