母心

愛媛県立中央病院入院中の1991年に54才で亡くなった母の日記です。

1990年4月16日

2時に目が覚める。そのままベッドの上。いつの間に眠ったのか今度目が覚めたのは5時40分。寝るのもしんどいのでベッドの上で起きてたん取りして洗顔する。トイレ行ったりしてるうち6時の起床時間になった。体温測る。36.5度あった。熱が下がってさわやかな朝迎える。今日は大安の日だから調子良くはかどるのかしら。

6時30分看護婦さん見える。別に悪いところもないしで良い一日が始まりそう。7時5分トイレ行き便が出そうでなかなか出ない。おなかは痛いのに3回もトイレに行く。あまり力んで出ないので通じの薬があったのを思い出し、入れてしばらくしてまたトイレに行く。今度は出た。すっきりした思い。でも切れ痔か知らないが血がだいぶ出たので心配でならない。切れ痔だったら良いが前のようにまたなったら困る。

7時15分座薬入れたり水虫薬飲んだりリポビタン飲んだり忙しいことよ。7時40分まだ食事が来ない。今日は遅い。7時42分ようやくできた。これから朝食時間。9時30分処置時間、取り替えする。新しい若い先生だった。退院の事聞くにも聞けないし困った。でも仕方ない。今日もあきらめよう。明日がある。希望持って心のなかに言い聞かせる。

11時呼び出し受け支度して放射線科へ行く。その先生も何も行ってくれない。がっかりして戻る。12時昼食時間。3時30分夫来る。アイスクリーム、ウーロン茶持って来てくれる。時夫と美智子来ない。3時40分夫シップ貼ってくれというので貼ってあげる。ウーロン茶くれというので上げると飲む。私と美智子の分だとばかり思ってたのにがっかりした。おはぎ一つあげると嬉しそうに食べて帰って行った。

5時過ぎに美智子、時夫君来てくれた。夫より子供の方が良い。夫とはしゃべってくれないからつまらない。5時30分晩の食事時間。おかず持たせる。りんご一つ売店で買ったもの持たせる。6時30分に帰って行った。

ゴミ捨てたりカップ、はしやスプーン洗ってくれたり私が少しでも楽になったら良いがと思いしてくれる。アイスクリーム4個も買ってくれた。